ユトリーヌの東方同人備忘録

幻想をわすれえぬものにする為に…

凋叶棕「奏」初聴感想

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 どうも、ユトリーヌです。たった今「奏」を聞き終え、動悸が収まらないまま居ても立ってもいられず書いているのがこの文章になります。いわゆる初感ってやつですね。

 いやもうほんとに興奮しすぎで大変なことになってるので、頭がおかしくなってしまわないうちにとっとと本題に入っていきます。とりとめのないなんてレベルじゃない文章になりそうで怖い。考察は全くしてないしてんで的外れなことを言ってても知らないし、現時点で書きたい曲の書きたいことだけ書く。解釈違いとかーーーーッ 全部全部ーーーーーッ 知ったことかーーーーーッ

 

 

 

 

 

 

 

 

  • 全体を通して 

 全体を通して印象に残ってることをまず挙げると、音がきれいになった。音質的な意味で。これのおかげでとにかく曲への没入感がすごいんだホントに。

 「the music I love」でのグレイズ音、「Closed Rain」での雨音、「」でのライブ感に「世界中の誰よりも」のカラオケ感、「かばねのうた」では自分が横たわって妖精たちに囲まれてる気分になるし、「the music I hate」のイントロで聞こえてくるレコードの音、エトセトラエトセトラ。

 これらすべてが私を曲の中に誘ってくれる。「奏」を聞きながら、私は幻想少女たちの“音楽”の中にいる。

 感嘆のため息が止まらないよほんとに、はぁ~

 

 

 

1.the music I love

 博麗霊夢、彼女に聞こえる音。それははじけるおと。かぜきるおと。あらゆる暴力が襲い来る中でこころをたかぶらせて歌う彼女がかなでるおと。そう、弾幕ごっこ。それが彼女の、博麗霊夢の、すきな、音楽。彼女が愛する音楽。

 

 しょっぱなからこれですよ。あーだめだまた感嘆のため息が。

 どこまでも彼女らしい音楽だよね。言葉に出来るものなんかじゃなくって、ただ好きだから好きなんだってのが。一行一行すべての歌詞が、あぁ、霊夢だってなるのほんとにすごい。

 

 

 

2.Closed Rain

 フランドール・スカーレット、彼女に聞こえる音。それは雨音。どこかの裂け目から聞こえてくる決して絶えない音。貴女が私を守ろうと、傷つけられないようにと、愛してくれているのだと教えてくれる、呪いのような音。

 

 砂糖菓子を踏み砕いて貴女の言葉だと形容したり、貴女の善意が馬鹿みたいなことだと思っていたりと、明確に貴女に対しての負の感情を露わにしているフラン。しかしブックレットの彼女の表情からは反抗の意思が全くくみ取れない。それは貴女が私を愛してくれているのだと理解ってしまっているから。“私が望んだあなた”が性癖なので、この手の関係性は嫌でも好きになってしまう。

 

 きっと地下室はとてもとても静かなんだろうなって。雨音だけが絶えず聞こえてきていて、時々独りぼっちの少女がこれは素敵なことなんだと呟いて、そして誰にも気づかれないままそっと耳を塞ぐんだろうなと。

 

 

 

4.玉兎遠隔群体電波通信網

 鈴仙・優曇華院・イナバ、彼女に聞こえた音。それは楽園の音。つきのうさぎ達の発する雑音。無軌道に続き、共鳴していくうわさばなし。ゆらりゆらりとつながっていく「玉兎遠隔群体電波通信網」

 

 この曲で熱いのは最後の最後での玉兎遠隔群体電波通信網の読みだね。鈴仙まで届いた!と感情が高ぶった。そんでもってジャケットで鈴仙と月兎たちが対局の位置にいるのがいいね。鈴仙の何か意味ありげな視線がいいね。故郷への追憶だったとしたらなおいいね。

 それまでは月の兎をやってるレイセン、鈴瑚、清蘭and,more...の間でやり取りされる楽し気な噂話だったのが、鈴仙のもとまで響いたらしい。なんか直前に“つみのおと”とかいう不穏なおとを纏ってるんだが大丈夫なのかね......

 あくまで“はかないつきのおと”は玉兎たちが上司の知らないところで発してる痛快な雑音でしかないし、ブックレット見た感じみんな楽しそうだし、いつか再び聞かせるようにって希望的な感じで終わってるし、みんな仲良しってことでいいんじゃないかな。平和が一番!

 

 

 

5.Uncooperative Harmony

 河城にとり、彼女に聞こえる音。それは統率されず、不規則な機械たちの音。それでいて不思議と調和が成り立った音。愉快なエンジニアたちによる「Uncooperative Harmony」

 

 これは純粋に曲として好き。私個人の趣向としてEDMチックな電子音だったり、機械のきしむ音だったりが好きなので、これらをうまいこと纏め上げて調和させたこの曲は非常にツボ。ブックレット裏のにとり&モブ河童の笑顔を見てから聞くと、工房でせわしなく動き回りながら各々勝手に音を出して音楽だと言い張る彼女たちの様子が連想されてとても楽しい。

 

 

 

6.踏んじゃってごめんねお燐

 いまいちまだ状況がよくわかってないのだが、一つだけ言いたい。これが古明地こいしに聞こえる音だということがどれだけ救いのあることなのか。

 いやだって思い出してみ、あの存在しないCDを。たった一本の糸電話以外、すべての音から目を背けて静かな世界に閉じこもった彼女のことを。

 「奏」での音と「 」での音にはニュアンスの違いがあるとはいえ、ここにきて解釈の余地が出来たというのは素直に喜ばしいことだ。妄想が捗る。

 

 

 

7.「」

 幽谷響子ミスティア・ローレライ、彼女たちに聞こえる音。それは混沌。歌エと、響ケと、叫ベと、誰にも止められない二人の声に呼応するように聞こえる観客たちの歓声。そして、抑圧から解放された少女たち自身が発する魂の声。

 

 なんだこれは楽しい死ぬほど楽しいぞいや死して歌える歌なんてないから生きるけどもそれはともかくとして死ぬほど楽しい。先にも述べた通り、今作没入感がすごいんだな。マジでライブの観客席にいる感じなんだよな。そりゃ死ぬほど楽しいわ。

 私はボルテージマックスの観客席にいたのだから、当然叫んだ。全力で腕を振り上げてハイ!ハイ!ハイ!と叫んだ。そうしたらなぜか隣の部屋に住んでる友人からうるせえと苦情が来た。おかしいな叫ぶべきだから叫んでいたんだけどな()

 

 自重します、はい、はい、はい......

 

 

 

9.世界中の誰よりも

 東風谷早苗、彼女に聞こえた音。それは思い出の音。気の知れた友人たちと過ごした、何でもない、それでいてもう二度と戻らない日常の音。

 

 この曲も何がいいかって、没入感なんだよ。音作りがほんとにカラオケに入っていそうな感じでリアル。歌詞もそれっぽい。友人の歌う、全く知らなかったけど好みなJ-POPを聞いてるときみたいなノリノリな感情になった。しかしサビ終わりがいつもの凋叶棕なので安心する。

 

 広めの部屋のカラオケ画面から適度に離れた席、スポンジ感あふれる席に座ってもうほぼ残ってない飲み物を口にしながら、マイクを両手で包み込むように持って立ちながら歌う早苗さんを眺める。クラスのマドンナ的存在の彼女に自分からは声を掛けられなくて、遠くから眺めてるだけで幸せな気持ちに云々みたいな幻視のできた素晴らしい楽曲です本当にありがとうございます。

 

 

 

10.かばねのうた

 名もなき妖精たち、彼女たちに聞こえる音。それは耳に残る不思議な言葉。意味は知らねど、真似をしているだけで楽しい歌。そうして“いのちなきもの”たちが声を合わせて響かせる、命あるものへの手向けの歌。

 

 今作で一番好き。アルバム全体を聞き終えてからも動悸が止まらないのは主にこいつのせい。何度も申し上げている通り没入感が異常だから、まるで自分が花の中にうずまっていて、その上を彼女たちが囲んで“偏執的なまで”な笑顔を私に向けて葬送曲を歌っている様子が明確に連想されて戦慄した。

 無邪気なんだよね。だからどうしようもないんだよね。我々命あるものからしたら絶対に理解できないことを平然と楽しそうにやるから彼女たち…… 他の状況では味わえない、独特の恐怖感を抱いてしまう。

 

 曲としても非常に好みで文句なしに一番のお気に入りです。カジュアルさと闇深を同時に兼ね備えた恐ろしい曲だ。

 

 

 

12.the music I hate

  稗田阿求、彼女に聞こえる音。それは鼓動。余りに頼りなく余所余所しい、かくもわずらわしい生存の証。生きているもののさだめだから、うたいおもいかなでていく独り善がりの音楽。「わたし」の嫌いな、憎い「おもいで」

 

 『うたいおもいかなでていこう』 いったいこの言葉にどれだけの苦悩と憎しみとそれだけじゃないさまざまな感情が、そしてそれらを受け入れる決意が込められているのか。過去作があってこその重たい歌詞だ。本当に、本当に。

 イントロがまた重たいんだこの曲。「私」を表すようなノイズ交じりのレコードチックでレトロな音。そこに聞こえてくる命の証。憎らしい、独りよがりの音楽。そしてそれはアウトロでも聞こえ続ける。「私」の音楽は「わたし」にも続いていく。

 各曲のブックレット中心部の円が少女たちに聞こえる音を端的に表している。ここからも「私」の音楽がレコードで表現されていることがわかる。少々飛躍してしまうのだが、これを踏まえたうえでもう一度これまでの阿求曲を聞きなおしてみると新たな解釈が生まれるかもしれない。

 やはりラストトラックの阿求曲は強力だ。なんて物哀しいんだろう...... ブックレット右側の諦念を感じる表情をした御阿礼の子は未来の「私」なのだろうか。

 

 

 

 

 

 今回言及しなかった曲は、良い曲ではあるもののまだ語れるほどの考えを持てていないので保留。というかまだ一回聞いただけだからね。初感だよ初感。これからガンガンヘビロテしてもっともっとこの世界観に浸っていきたい。あ~思い出したらまた溜息が。はぁ~好き。

 

 

 

第十六回博麗神社例大祭一般参加レポ

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    どうもお久しぶり、ユトリーヌです。リアルでのゴタゴタにどうにか一区切りがついて、幻想世界に引きこもる時間ができ始めてきています。やっぱり趣味と仕事の両立は大変なんだなって。元々関東住みだったのですが今年の春から地方勢と化し、イベント参加がハードモードに。しかし不参加という選択肢は無い!何故なら参加しないと憧れの存在とすれ違えないから……!

 

    というわけで、第十六回博麗神社例大祭お疲れ様でした‼︎  今回も多くの方々と交流させて頂いてとても楽しい時間になりました。RDさんはなだ先生卯月先生しじまうるめさんかんのふみろく先生URAKIさん理紗さんetc...  当然、領布作品を手に入れるというのが大きな参加目的ではありますが、憧れの先生方や同好の士たちに会うというのも同じくらい大事なことだったり。その為に遥々足を運んでるのですから、誰かと直接出会えたことの喜びもひとしおです。

 

    今回もこれらの一時のものを忘れえぬものにするべく、一般参加レポとして綴っていきたいと思います。例のごとくダイジェストで。

 

 

 

 

 

 

  • ハイライト

  • 入場時間、ペナルティの話

    去年の秋例でペナルティが発生、それが来年の会場変更時にいざこざを起こしてもらわない為の布石だと予想していたこともあって、今回の例大祭では99%ペナルティがあると思っていた。1%を引いちゃったね、うん。

 

    とはいえ徹夜&早朝来場が禁止されていることは事実であり、ペナルティどうこうの話ではないのである。皆さんも迷惑のかからないくらいの時間にゆったりと来るようにしよう。次回も今回と同じく、7:45分過ぎ頃に着くようにしようかなと。

 

 

 

  • 新装備品を導入

 今回新たに導入した戦場の相棒が一つ。それが

 

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 100均のA5サイズファイル!

 

 作品をいただくとおまけとして貰ったりする栞等の小物類。同人誌を入れるケースに適当につっこむわけにもいかないので専用のケースをいろいろと試していたのだが、今回最適解を見つけ出すことが出来た。

 

 手ごろで邪魔にならないサイズながら、

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 これらすべてをしっかり収納できる優れものだ。これからの戦いの心強い味方となるだろう。

 

 

  • しじまうるめさんと

    開幕直後の序盤に訪れたサークル「room-butterfly」にて主宰のしじまうるめさんとお話。今回もいつも通りに首から名札をぶら下げていて、それに気づいたしじまうるめさんの方から声をかけていただいた。

 

    事前にチェックしていた領布作品の中でもトップクラスに楽しみだったのが、このサークルのこいここ小説『きみだけはぜったいに孤独じゃない』  “生きる才能に欠けたふたりの少女が、世界と引き換えに互いを救うお話”とのことでもうダメ。読了後に死ぬ未来しか見えない。

 

    めちゃくちゃ楽しみにしてました!って気持ちを素直に伝えてきた。また2巻も手に取りに伺いたいと思う。ありがとうございました。

 

 

 

  • URAKIさんと

    今回が初参加だというサークル「天色天狗」主宰、URAKIさんとお話。こちらもURAKIさん側から気づいて頂いてありがたかった。作品受け取り第一号だって、やったね!

 

    最初に訪れた際には、名刺をもらったり手作業での特殊装丁についての話をしたり。紫苑本だと一発で分かるデザインの和綴じで、部屋にそのまま飾りたくなる本。

    その後会場で読みきって感想を伝えに行った。猫みたいな紫苑ちゃんが可愛かったり仄かに女苑ちゃん味を感じて姉妹だな〜って思ったりやっぱり疫病神だったり。

 

    次の秋例に出す予定の本についてもちょっとだけ教えていただいて、今から楽しみにしている。ありがとうございました、かもめの玉子ご馳走様です!

 

 

 

  • 修行と化した神主列

    今回は移動距離効率よりも、領布数の少ない作品を優先する作戦を取った。その為に西1→西3→西2という1階と4階を往復するムーブをすることに。直射日光の中スロープを上がり下がりするのは運動不足の身に応えた。

 

    がしかし、それらを物ともせずに勇敢に戦う者たちによる長蛇の列が……  そう、新作体験版領布の神主列だ。多分Twitterでサーチをかければ誰かしら写真を上げていると思うのだが、えげつない混み具合だった。燦々と照る日の下で1階と4階を繋ぐスロープを2往復、修行か何か?

 

    神主も過去最高の混み具合と言ってらっしゃる戦場を戦い抜いた者だけが早々にプレイ出来る体験版。私は列を一目見た瞬間に諦める決断を下した上、他人のスマホ画面でネタバレを踏んだので散々だったが……  レーベルの子の二次創作が私好みの物ばかりになる未来が見えたので良しとしよう。

 

 

 

  • かんのふみろく先生と

    昨年の秋季例大祭にてサークル「カンテラ水族館」の作品『HEART to HEART』『HEARTA[id]CHE』を手に取ったのだが、これがあまりにも素晴らしくて素晴らしくて……  Twitterで語り散らすには些か長すぎる感想文をメールで直接送った。その時の返信のお礼と、感想を直接言いたかったのと、新刊が欲しいのとで今回もサークルに足を運んだ。

 

    私には勿体ないくらいの感謝のお言葉を頂いたり、私の方からもまた感想を伝えられたりと、とても楽しい時間だった。作品から受け取った感情を著者さんにお返し出来るってのは本当に幸せだね。

 

    今回の作品は前作とは違ってゆる〜い感じ(むしろ普段がこっち路線…?)らしいので、読みながら心穏やかになりたいと思う。ありがとうございました。

 

 

 

  • 卯月秋千先生と

    事前にチェックしていた領布作品の中で特に楽しみだった作品2つ目がサークル「相乗り回転ブランコ」の新刊『深葬版 ラクトガールは八度死ぬ』  はなだひょう先生の幻の作品を楽曲化した凋叶棕楽曲『R.I.P』を原典にした四次作品だ。構造が複雑。

 

    最初に訪れた際はまだ時間との戦いの最中だったので軽い挨拶程度で、午後に再度伺った。設営が美しすぎる話だったり冬コミ以降の近況報告だったり……  冬に領布なされた作品の感想は当日のうちに伝えきっていたので、基本は他愛無い話。しかし私にとってはとても参考になるし励まされるありがたい話だった。詳細はあえて書かないが。

 

    ちょっとずつちょっとずつ前に進んで行きます。ありがとうございました。

 

 

 

  • 霧山理紗さんと

    今回初めてお会いしたのが、凋叶棕の三次web小説等々を投稿している霧山理紗さん。普通の皮を被ったヤバイ人だ。午後に合流して、一緒にはなだ先生とRDさんの所にお話をしに行った。

 

    二次創作ゲームのキャラのセリフを寄稿していたりと同人活動には関わっているのだが、例大祭参加は初めてだったようで色々と新鮮そうな感じだった。私も初参加の時は待機列に並んでるだけでワクワクしてたもんな〜。

 

    小説の話、凋叶棕関連同人誌の話、リアルの話も含めて閉幕後も近くの店に入ってずっとお喋りしていた。『Uprising Ideology』と『Downfalling Ideology』の「冒険」という歌詞に含意は果たしてあるのだろうか…… 考察に力が入る。

 

 これからもいろんな場面でお世話になる予定なのでよろしくお願いします。ありがとうございました。

 

 

 

  • はなだひょう先生と

 大正義はなだひょう先生とお話させて頂いた。午後に合流した理紗さんと一緒に「相乗り回転ブランコ」のスペースへ伺うとはなだひょう先生が一人でいらしたので声をかけた形だ。

 

 相乗り回転ブランコの設営をはなだ先生が担当されたとのことで、その卯月先生の小説(ラクトガールに関してははなだ先生自身が原点)に寄り添った美しさに感動したことを伝えた。いやほんとにきれい。設営写真の時点で心奪われたのは初めての経験。

 

 他にも凋叶棕新譜の謎フライヤーだったり、凋叶棕ファンの間でできたつながりの話だったり。はなだ先生は「てぃあおの話題で盛り上がれるの⁉」とおっしゃってたが、そりゃあ盛り上がるよ……、盛り上がる? よくよく考えてみればそういう感じじゃないな趣味の悪い人たちが趣味の悪い話を延々としてるだけだなおかしいな()

 

 これからも全力でついていきます、ありがとうございました。

 

 

 

  • RDさんと

 最後に訪れたのが「凋叶棕」のスペース。ここに来ずして例大祭を終えられる筈がない。RDさんが自分の買い物を終えて帰ってきたところにお邪魔させていただき、貴重なお話をたくさん聞くことが出来た。

 

 先ずはRDさんが出演した東方ステーションの話。最初は顔に手を当てて「思い出させないで下さい~」と恥ずかしそうな感じだったが、やっぱり原作だよねという話題になると放送でも見せていたマシンガントークが炸裂。一体あの頭の中にどれだけの情報量と東方愛が詰まっているのか、考えるだけでも恐ろしい。

 

 次いで新譜『奏』の話。今回のテーマは“音楽”ということで、私は“原曲”という存在にピックアップした楽曲があったりするのだろうかと考えていたことを伝えた。すると「それよりかは“彼女たちに聞こえている音”という考え方が正しいですかね」とのこと。例としてフランの楽曲『Closed Rain』の“雨音”についての力説を聞くことが出来た。確かに彼女に聞こえている音は限定されるんだろうな……

 

 その後も会話を続ける中での一コマ。

理紗さん「いつもは闇の深い世界観で曲を創っていらして……」

あるでさん「今回はカジュアルな感じですから大丈夫ですよ。死人は出ますが

ユトリーヌ「あ、死人は出る……」

 

    知ってましたよ、ええ。

 

あるでさん「まあ死人がでる=闇では無いですからね笑」

 

 

    そんでもって新譜にサインを頂きました!

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    長話にお付き合い頂いてありがとうございました!  今回の新譜も汲み取ります!

 

 

 

  • 同人イベント一人反省会

  というわけで、恒例の一人反省会の時間だ。先ずは前回の反省から見直そう。

 

  • リュックのサイズ

 前回ギルティofギルティなことをしでかしたので特に気を付けた部分。今回はうまいこと荷物を最小限にまとめる&リュックサックをベルトで圧縮して小さくすることで特に問題なく動き回ることが出来た。えらい!

 ただ地方勢に転身した関係でこれから荷物が増えることが予想できる。近場の駅のコインロッカーを利用するなり運営に荷物を預けるなりして対策を練らなければ。再発は許してはならない。

 

 

  • 来場時間について

 前回ペナルティがあったこともあって来場時間を遅らせた。今回はなかったが、依然として発生する可能性は高い状態にあると予想できるうえに、そもそも早朝来場は人様に迷惑をかけるのでダメ、絶対。次回からもこのくらいの時間に来ようと思う。次は夏コミなので始発戦争だがな!

 

 

 

 前回の振り返りはこのくらいで、次は新たに発見した良かった点&反省点

 

 

  • 装備品

 今回A5サイズのファイルを導入したことで、戦場をさらに快適に動けるようになった。今後も装備品の試行錯誤を繰り返して徐々に最適化していきたいと思う。

 

 

  • 忘れ物を一つ

 実は今回できなかったことがあるのだ。それはスケブ依頼。引っ越しによるごたごたが原因で、前の家から運ばれてきたスケブ入りの荷物と私自身が入れ違いになってしまったのである。悲しい。

 スケブ自体が作家さんの善意によるものなので大声で嘆けることでは全くないのだが、せっかくの好意に甘えられる場面を自らのミスで逃してしまうのはもったいない。ちゃんと持っていこう。

 

  • お金がどっか行った……?

 確証がなかったのでここまであえて書かなかったのだが、回ってる最中に唐突に1000円札の束が消えた。落としたかはたまた掏られたか…… 勘違いだったらいいのだが、本当に唐突に無くなってたうえに計算が全く合わないんだよね。

 ほぼ回り終えた後で札が残り少なかったので良かったのだが、本当に紛失していたとしたらアホなことこの上ない。もうちょっと気を付けていこうね。

 戦勝用財布は常に視界に入る位置に置いてるんだけどな……

 

 

 

 とまあこんなところだろうか。反省点は二つだけだったが内容が内容なので気を付けたい。毎度毎度言っているが、同人イベントは自らの経験に頼らざるを得ない戦場。しっかり反省会をして次回に活かそう。

 

 

 

 例大祭という素晴らしいイベントを企画・運営してくださっている準備会の方々、今回関わってくださったすべての方々、そしてなにより幻想の生みの親ZUNさんへ最大限の感謝を送りたいと思う。ありがとうございました。

 

 

 リアルがなかなかに忙しいのだが、時間は出来るものでなく自ら生み出すものだと学んだので積極的に戦利品を読んでいこう。読んで抱いた感情を、作者さんに感想という形で返すまでが例大祭だ。

Escape Sanctuary「東風谷早苗は神が怖い」

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    どうも、ユトリーヌです。今回はサークルEscape Sanctuaryの幻想少女恐怖シリーズ第15弾、「東風谷早苗神が怖い」の感想を綴っていきたいと思う。途中まではネタバレ無しの紹介という方向で。

 

    まずは著者の五十嵐月夜先生による紹介をば。

 

    基本的に幻想少女恐怖シリーズは、主人公のアイデンティティが彼女にとっての最大の敵になるという流れをたどる。早苗のそれといえばやはり神の存在だ。諏訪子に祟られた早苗の運命や如何に……。

    

    月夜先生の文章からは、風景を的確な描写であるがままに描きだしているような印象を受ける。理系的というか、そんなところが魅力だったり。今作を書くにあたって実際に諏訪に取材をしに行ったそうで、この傾向がより顕著に表れていた。
    そしてそれはキャラクターの心情においても同様。リアルなんだよね。基本的には幻想郷という現実からは遠く離れた世界が舞台であるのに、感情等の一つ一つの表現が現実に即しているというか。だから深く感情移入してしまうし、主人公が感じた恐怖をそっくりそのまま追体験できてしまう。ゾッとする感覚、皆さまは久しく味わってないんじゃないですか?  今作を読めばラスト数ページで地獄を見ること間違いなしですよ‼︎

    否が応でも感情移入させられてしまうこともあり、話を読み終えるとそのキャラが更に好きになってしまうのは最大の魅力。実際に小鈴、アリス、早苗あたりは月夜先生の作品を読んで一気に好感度が上がった。まあそのせいで後遺症も酷いのだけれど。

 

    紅月カイさんのイラストも素敵。前作のドレミーさんもすごく美人だったけれど、今回の大人早苗さんはそれ以上に眉目秀麗。特に三枚目の挿絵には見惚れてしまった(シチュエーションからは目を逸らしつつ) 。

 

 

 

    さて、ここからは今作及び月夜先生の過去作品(具体的にはアリス)のネタバレありで感想を綴っていこうと思う。恐怖を描いたものであるからして『最悪』等の表現を用いるが、全て最大限の褒め言葉なのでご了承願いたい。

 

 

 

    「アリス・マーガトロイドは心が怖い」以来のクリティカルヒット作品が来てしまった……。 数多くいらっしゃる同人作家さんたちの中でも、一縷の光の存在すら許さない完全なバッドエンドの演出という点では、月夜先生が最凶だと思うんだ。
 

    今作は私の中に二つある地雷を的確に踏み抜いていったんだよね。基本的に私はバッドエンドやメリーバッドエンド大好き人間で、大体の凄惨な結末は心臓を鷲掴みにされる感覚を楽しむことが出来る。だがこの二つに関しては本当に無理。1週間は引きずる。

 

    まず“為り変わり”。これは以前「アリス・マーガトロイドは心が怖い」の感想記事で散々綴った。

    さて、この“為り変わり”は今まで触れてきた悲劇と決定的に異なる点がある。どんな凄惨な結末を迎えようとも決して無くならなかった、「少女たちの“意思”と“存在”がそこにあった」という事実。それが奪われてしまうことだ。

    「Alice」がこれから辿るはずだった道、抱くはずだった思い、関わるはずだった全ては愚か、彼女が今まで辿ってきた道、抱いた思い、関わりあった全てもが「Arice」のものとなってしまう。そこに「Alice」が存在していたという事実は残らない。彼女の“意思”と“存在”は消え去ったのではない、“無かった”事になったのだ…。これ以上の絶望があるだろうか。

『Escape Sanctuary「アリス・マーガトロイドは心が怖い」感想 並びに消失した愛しき幻想の為の備忘録』ーーユトリーヌの東方同人備忘録

    本っ当にエグくない?  今作でも無理だったよ私は死んだ。この先もずっと早苗は奪われた居場所に想いを馳せ続けて死んだような生を送るわけで……  ただ死ぬよりかよっぽど最悪じゃないか。

 

    もう一つは“普通への転落”。これは必ずしもバッドエンドという訳ではなくて、その日常がキャラクターの望んだものであるならばハッピーエンドとして描かれることも多い。だが私的にはこれが地雷なのである。

    『幻想少女』という存在に対して、神聖な立ち位置で居て欲しいという強い願望があるんだろうな。特別な力があって物語のステージ上に立っていた人物が、普通な存在になってそのステージを降りていくパターンがどうしてもキッツイのである。人比良先生著「始まりから三つめの星」でも、あの感動のラストシーンを見せられてなお(これはバッドエンドなのでは……?)と思ってしまった位には地雷。

    で、今作のあの結末ですよ。幻想郷が自らの居場所だって認識した上での普通への転落。亭主と子宝に恵まれてささやかに慎ましく生きるというどこまでも日常的な、テンプレートのような生き方。それを相手が誰なのかもわからないという特典付きで強要された、乗っ取りという形で‼︎    思い返すだけで頭が痛くなってくるよ、うぇっぐ。

 

    「アリス・マーガトロイドは心が怖い」を読んだ後は、アリスのイラストを見ると遺影に見える後遺症が残った(死んでないけどね)。  今作では家族写真が思い浮かんでくるので地獄です。はい。

 

 

    この物語の語り部を描いた「新訳・忘れ去られた少女」を読んだ人にとっては尚更地獄である。どうするんだこれ……。総集編の『あるいは某かの観測』を読んで、これまた死ぬ未来しか見えない。既に終わってしまった悲劇を見ていることしか出来なかった彼女は、一体何を思うのだろうか……。

    更に所々で垣間見える別の悲劇がいちいち心臓を突き刺してくる。行方不明の夢の支配者さんとかパーティに誘ってくれなくなった紅魔館とか……。ルーミアと蓮子をまだ読めていないのだが、神隠しの話はここら辺と絡んでたりするのだろうか。

    シリーズを通して読んでいけばいくほどに絶望が層を成す。一つの悲劇が原因となってまた別の悲劇が生み出されてしまう事態、1枚目のドミノが2枚目に届いてしまった事によって、状況の悪化具合は加速しているのだ。

 

 

    前説も毎回楽しみにしていて、最後まで読み終えた後にもう一度見返すと身震いしてしまう。今回なんかはまさにそうだった。東風谷早苗は(人に潜む)神が怖い。

 

   

 

    というわけで荒い言葉使いマシマシで感想を綴ってきた。これ以上ないほどに感情フルボッコにされてしまう今作、観測してしまった語り部に道連れにされたいあなたには非常にオススメの作品である。

 

 

 

アリス・マーガトロイドは心が怖い」感想

 

五十嵐月夜先生も寄稿した凋叶棕合同誌

 

凋叶棕「娶」雑感想

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 どうも、ユトリーヌです。あけましておめでとうございます。昨年から始めたこのブログですが、当初予想していたよりもはるかに多くの方々にアクセスしていただいて大変感謝しております。今年も、相まみえた素晴らしい東方同人へ抱いた感慨を忘れえぬものにするべく、つらつらと言葉を綴っていきたいと思います。よろしくお願いいたします。新年のあいさつはこのくらいに。

 

 

 凋叶棕の新譜が領布されましたね! 発表前からRDさんがTwitterで散々邪悪な単語を呟いていらしたり”最悪”という言葉が出てきたりと、不穏な感じしかなかった「娶」。いざ実物を手にし聞いてみると、冬のてぃあおだ……という初感でした。光の例大祭、闇の夏コミ、アリスな冬コミ。 東方という物語そのものを表現しているという印象が強いのは、間違いなく冬のてぃあおです。

 今回もその例にもれず、東方世界の根幹を担う観念の一つである”「人」と「妖」の関係性”を「異類婚姻譚」というテーマを通して追及したもの。タイトルが発表された時点でワクワクが止まりませんでしたよ、ええ。

 

 ......新年一発目なので口調を丁寧にしようと敬体の文章にしてみたが、やはり常体の方が性に合っているのでそうしたいと思う。

 

 さて今回のこの記事だが、未だ考察はおろか、解釈の段階すら終えられていないまま綴ったものなので、取り留めのない雑感という表現が適切であるかのように思う。リアルが忙しいなりにできるだけ早く初感を後から振り返れる形にしておきたいが故の記事なので許していただきたい。皆さんの考察に役立つ情報がちょっとでも提供できれば万々歳である。

 

 前置きはこの程度にして、内容に入っていこうか。

 

 

 

 ジャケット、レーベル等について

  • ジャケット

 発表当初は花嫁の影が鶴に見えていて「見るなのタブーの代表例である鶴女房は衣類婚姻譚の象徴である」と声高々に口にしていたのだが、よくよく見たら鬼っぽくない......?となったジャケット。はたしてこの女性は誰なのだろうか? というより私たちの知る東方キャラのうち○○だと断言することができるだろうか?

 単純に黒髪であることだけから推察するなら、「娶」収録曲から文、ぬえ、蓮子。 収録曲以外なら輝夜、お空、村紗、影狼、抗鬱薬おじさんetc... いまいちピンとくる人妖はいないように思えないだろうか。影が鬼のようであることを考えればなおさら。そもそもおでこから2本の角が前方に伸びているキャラいる?

 

皆知らぬそ知らぬ何知らぬ

 それでなお誰もが知っている きっと―――

「東方人妖小町」より

 

 「娶」の最大の主張、人妖の関係性を最も簡潔に表した歌詞である。これを“モチーフ”として描いたのがジャケットであるのではないかと思うのだ。さながら「騙」のモチーフとして描かれたまりさめきりさちゃんのような。

 東方キャラを表すモチーフとして重要なパーツであるZUN帽や装飾は見つからない。「うつろわざるもの」にて(我々の知る天子から)うつろいでいく天子が、朽ちかけた桃と投げ放たれたZUN帽で表現されていたように、これらがないということは決して無視できない意味を持つのである。今回で言えば”この女性が誰なのかを特定できない”ということが。

 一見して人のように見える花嫁。対峙する花婿にも当然そう見えていることだろう。少なくとも今は。しかしその実、彼女には裏がある。夫の前では見せようとしない妖としての顔が。そしてこれも重要な点の1つであるのだが、花婿は少し前かがみになって右を向くだけでそれに気づいてしまう状況にあるのである。だが彼の視線は花嫁の表の姿、光にあてられた人としての姿だけを向いている。これが続く限りこの二人の幸せな日常は続いていくことだろう。

 ほんの少し花婿が疑念を抱き、それを暴こうとしたその時点でもろくも崩れ去るような、繊細なバランスの上に成り立っている日常。それが私たちの知る幻想少女だけではなく、幻想郷では普遍的に、蓋然性の高い事象として行われている。ジャケット絵が表現したいのはこのことなのではないかと。

ほら、あなただって知っている。戸一つ隔てた先にいるのは―――

CD用帯より

 ちなみに綿帽子は本来白無垢のみと合わせられるものであったのが、最近は色打掛用のものも出てくるようになったんだとか。ジャケットの女性も最近の流れを知っているのか、はたまた幻想郷には独自の神前式文化があるのか。想像するのも楽しそうだ。

 

  • レーベル、バックインレイ表・裏

 ジャケットをたっぷり堪能したところでケースを開く。はてさて、そこには角隠しをかぶった自分自身の姿が…… 御冗談を、最初は娶の文字に目がいくでしょうよ。

 レーベルに描かれているのは角隠し。顔があるべき部分には何もなく、真正面からのぞき込めば自分自身が写る。まあそのこと自体は「喩」のレーベル反射がたまたまだったこともあり、聞き手が意味を付加できるならどうぞくらいのものだと思っている。

 

 私的レーベルの解釈は二つ。

 一つ目だが、凋叶棕アルバムにおいて共通する法則の一つに「CD中心の穴が物語の入り口であり、重要な意味を持つ」というものがある。「夢」では、ドレミーの夢魂に触れて幻想少女達の夢の中に入り込んで行くように。「奉」の物語が、コインを手にするところから始まるように。「屠」にてジャケ子を殺す様が示唆されているように。「謡」では阿求の部屋に入っていくように。

 「娶」もその例に漏れないのであれば、CD中央部に”何もない”、すなわち角隠しの下が”正体不明”なのが重要であるということになるだろう。

Yes,I know it.

She might be a Yokai,a terrible monster.

But What's so wrong with it?

There is no difference.

Humans,Yokais,everyone is----alien to me.

CDレーベル英文より 

  角隠しのその下は、人間であろうと妖怪であろうと分からない。

 

 二つ目だが、バックインレイにかかわってくる。表側、曲目が書いてあるほうを見ると、白無垢に身を包んだ花嫁たちが中身のわからないままに描かれている(領布前日にメロンブックスにてこの面だけ見せていただいてびびった。月光条例のあいつとかハリポタのあいつとかちょっと怖い)。CDレーベルに戻り、これを取り外してみよう。すると正体不明だった花嫁たちの姿が鮮明に見えてくるのだ。vocal曲にて歌われるメインの幻想少女たちだ。

 つまりだ、「神前式の衣装に包まれて正体をわからないままにしていた花嫁たちから角隠しをはぎ取り、その正体を暴いた」ということになる。見るなのタブーをガン無視していくスタイル。ここから物語は始まってゆく。

 

 

各楽曲について

 それではここから楽曲に移っていこう。しかしながら今回のアルバム、各楽曲の完成度が高いというか、物語の合間合間に隙間が全然見当たらなくて解釈の余地が少ないように思える。楽曲の意味を汲み取ろうと考えるまでも無く「言いたいことそのまま言ってるじゃん!」という曲が殆ど。

    なので曲自体の解釈というより、元ネタの異類婚姻譚からの視点等、さまざまなベクトルから曲を見て妄想しようぜみたいな感じで。

 

 

 

  霊夢枠の代わりで、上記の最も○○がvocal曲を指しているのであれば、最悪枠はこの曲ということになる(正確にはchorus曲だが)だろう。

 

 神前式にて行うことの一つに「祝詞奏上の儀」というものがある。祝詞とは神々に対し申し上げる言葉のこと。神職が神にふたりの結婚を報告し幸せが永遠に続くよう祈るのだ。祝詞は各神社によって内容がバラバラで統一されておらず、神主が作成するものだという。日本各地の神社を包括する宗教法人である神社本庁から、その例ともいえるものが発行されている。

掛けまくも畏き某神社の大前に(斎主氏名)恐み恐みも白さく、

八十日は有れども今日を生日の足日と選定めて、何某の媒妁に依り、

某所に住みて大神等の御氏子崇敬者と仕奉る何某の何男某と、

某所に住める何某の何女某と、

大前にして婚嫁の礼執行はむとす。

「改定 諸祭式要綱」より一部抜粋

  一部を抜粋したものであり、全文はもうちょっと長い。これを参考に「祝言」の文を書き出そうと試みる。

 

掛(か)けまくも畏(かしこ)き博麗神社の大前に
恐(かしこ)み恐みも白(まお)さく、
八十日日(やそかび)は有れども今日を生日(いくひ)の足日(たるひ)と
選定(えらびさだ)めて〈花取の〉礼(いやわざ)執行(とりおこな)はむとす

天なる月を 思へ
地なる山へ 対(むか)へ
心つなぎ  かたれ
力示せ   助け

〈かくはみときは〉
変わることなく
行末永き
移ろうことなく

斯くも目出度く 斯くも目出度く
〈わがくものかかるは〉
斯くも目出度く 斯くも目出度く
汝が誓詞(うけいごと)

斯くも目出度く 斯くも目出度く
今居ぬ言葉して
斯くも目出度く 斯くも目出度く
恐み恐み白す

 

 といったところだろうか。()内は難解な漢字の読み、〈〉内はいまいち聞き取れなかった部分なので参考にならない。ここ以外もあくまで私の耳で聴き取っただけであるので盲信してはいけない。一応『改定 諸祭式要綱』の例文に照らし合わせてはいるのだけれど……

 

  さて少し考えたことを書いてみると、

  •  博麗神社と言ってはいるが、あくまでこれは霊夢枠ではない。となれば博麗神社が代々続けてきた祝詞であると推察できる。「東方人妖小町」にて今尚続く昔ばなしについて歌われているが、代々博麗神社は異類婚姻に関与してきたのだろうか? だとしたら最悪枠というのにもうなずける。
  •  ”最悪枠”という言葉であるが、私はこれを光闇といった考え方での”闇”と同義だとは考えていない。というのも 

 という言葉があったので。RDさんのツイートを見ていると”蓋然性”という概念は曲を作るうえで重要なファクターを担っているのである。「一定の蓋然性が線引きの条件」であったり「あまり多用すると蓋然性を損なう」だったり。今回の「娶」においては光と闇といった概念で考えるのは少々ナンセンスかもしれない。蓋然性の高低をもって”最悪”だと考えてみよう。そうすれば博麗神社が異類婚姻の神前式に関与している楽曲ということの整合性が取れる。

  • 〈花取の〉と予想した部分だが、花嫁をとるという意味以外に

という意味もあるのかな〜と。

 

 まああまり深いことは考えず、今までのアルバム通りに1曲目は物語の導入くらいに考えてもよさそうなものだったり。

 

 

2.あの日のサネカズラ

 異類婚姻譚(人と妖とは言ってない)。最も“雄大”な曲。“婚姻”、“幽香”と聞くとやはり連想されるのは「彩」なのだが、

人の及ばぬところ、あるがまま咲き誇る。

 

ーそんな世界こそが、どこまでも美しい。

『いとおしきものに、うつくしきものに』より

と言っていた彼女が人と恋愛関係に至るのがあまり想像できなかったので、聞きながら(ゆうかりんだ…)と一人納得していたこの曲である。

 

    表題のサネカズラを用いた詩が百人一首にある。

名にし負(お)はば 逢坂山(あふさかやま)の さねかづら
   人に知られで くるよしもがな

           三条右大臣(25番) 『後撰集』恋・701

    詩の意味はとても分かりやすく解説されたサイトがあったのでそちらを参照してほしい。

【百人一首講座】名にしおはば逢坂山のさねかづら 人に知られでくるよしもがな─三条右大臣 京都せんべい おかき専門店【長岡京小倉山荘】

“来る”と“繰る”が掛詞になっている点など、まさに幽香を連想させる詩だ。

    加えてサネカズラの花言葉が“再会”であること、花は依代であるということ。これらを踏まえて、雄大な自然と時の流れに想いを馳せてみよう。咲き果てた花々と仲睦まじく契りを、約束を交わす彼女の姿が見えてくる。

 

 

3.??の花嫁

  言いたいことはレーベルについての項で綴ったことと大体一緒で、簡単に言えば

Yes,I know it.

She might be a Yokai,a terrible monster.

But What's so wrong with it?

There is no difference.

Humans,Yokais,everyone is----alien to me.

CDレーベル英文より 

 ということである。

 

 それだけでは味気ないので、原曲よろしく平安時代の婚姻について少し話してみよう。この時代の貴族が恋愛をし、結婚に至るまでの手順だが、

男性がどこかから「◯◯家の上から△番目の姫が美人らしい」などの噂を聞く

男性から女性にラブレターを書く

女性の親がラブレターの内容や男性の官位・身分などを考えて、娘にふさわしい相手をある程度絞り込む

親の認めた相手に女性が返事を書く

しばらく手紙のやり取りが続く

男性が御簾(すだれ)ごしに会いに来て女性と話す

何回か通って話す

男性がその気になったら、女性の寝室に忍び込んで(年齢制限回避のため省略)

三晩続けて通い、結婚成立・お祝い

平安貴族の「通い婚」はどんな手順で進んだか? 嫉妬と憎悪の「妻問婚」 - BUSHOO!JAPAN(武将ジャパン)

という流れになっている。ここで注目したいのは、情事を営むようになって始めて男性が実際に女性の顔を見ることができるということだ。この時代では、人間同士ですら「??の花嫁」であった。異類婚姻譚でよくみられる、戸越しに妖と人間が語り合うシーンなどはここからきているのだろうかと予想してみたり。

 

 

4.伴に歩くその心

    最も“力強い”曲。こんなん勇儀姐さんに惚れないわけがないんだよな…

    お前は数多の怪異と出会うだろうよ。幾多幾度も挑まれるだろうよ。それでも負けるな、逃げるな、終わるな。お前の傍で鬼が、私が立っていてやるから。

    「お前と望む景色がある」とかいうあまりにも真っ直ぐな言葉。これ言われたら確かに人間やめちゃえるわ。

    地獄の桜吹雪に吹かれながら笑顔を浮かべる勇儀姐さん。単純な絵面だけでも美しいことこの上ないのだが、

こんな邪悪な色彩    ずっと見てたら心まで乗っ取られてしまうわ

東方茨歌仙』第28話より

これらがこのようなものであることを踏まえた上で、なお屈託無い笑顔を浮かべる勇儀姐さんの力強さにもう私は…私は…

 

    “鬼の殆どは元人間”という公式設定があるが、彼ら彼女らは皆こうやって鬼になっていったのであろうか。蓋然性の低くはないような。だとすれば鬼たちが皆決して嘘をつかないのも分かる気がする。意志の強い人(妖)はかっこいいね本当に。

 

 

5.ミノキチグリーフシンドローム

    異類婚姻譚の王道であり、見るなのタブーを犯すテンプレもしっかり辿っているのが「雪女」。ミノキチは雪女と結婚した男の名であり、グリーフとは喪失体験に伴う様々な感情(悲嘆だけではなく愛惜も含めて)の事を指す。

 

    ミノキチと雪女は数ある異類婚姻譚の中でも、かなり長い時間幸せな生活を送る。伝承ごとによって多少の差異はあるが、大体20年近くも。しかも沢山の子も成すのだ。二人の間にはさぞかし強い絆が結ばれていたのだろうなと想像できる。しかし物語はそのまま終わってはくれず、ミノキチの本当に、本っ当に何気なく悪気もないような一言で幸せな時間は終わりを告げるのだ。

    異類婚姻譚というテーマが発表されてから割とたくさん話を読み漁ったのだが、結局メジャーなこの話が一番物語感があって感情移入できた。ミノキチの父親を殺している雪女はどういう気持ちでミノキチと暮らしていたんだろうかとか、残された子供たちはその後どうなったんだろうかとか。子供向けの童話などと侮るべからず、考えてみると結構しんどい。

 

    はてさて、そんな雪女ことレティさん。彼女は名前の元ネタがくろまく〜なこともあって特別良い印象を抱いてはいなかったのだが、雪女のお話を思い浮かべながら「ミノキチグリーフシンドローム」を聞いていたら、あなたも大変だったんですね…と和解できました、はい。お前は一体どこから目線で話をしているんだ案件。

 

 

6.meaning of life

    RDさん曰く“最も幸せ”な曲。これは確かに幸せですね間違いない。

    クロスフェードを聞いた時点で、「何もかもわたしに任せればいい」「この両手に抱かれてゆくことの喜び」という歌詞だったり、蜘蛛の雌が雄を食べる習性から、こういう曲になるんだろうなとは思っていたんだよね。でもそこにもう一捻り加えてくるんだから敵わないなと。アイドルだもんな…。

 

    “カニバリズムは究極の愛の形”だとする考え方に出会ったことがあるだろうか?  メリーバッドエンド好きな人であれば一度はそういう結末の創作物に触れているのではと思う。んなこたないわって人は「秘封祭」をやろう。そういうエンディングがある(ごく一部ネタバレ)。

    実際に愛故のカニバリズムは行われた記録があるのか確認するべく、調べてみたのだが見つからず。親族たちがその魂を受け継ぐべく身内を食べる等の例はあったのでそれに準じたものがあるかもしれないが、明文化されてはいなかった。基本的に人間同士ではカニバリズムを通して絶対愛を証明するというのは蓋然性が低い行為だと考えていいだろう。

    それでは人と妖であれば?  それも相手は土蜘蛛で地底のアイドル。恋の病ですら発症させてしまいそうな彼女ならば十分ありえそうな話ではないだろうか。歌詞を見るに人間側からの一方通行の恋という感じではあるが、ヤマメちゃんはそれを受け入れてあげたので婚約成立だ。究極の愛の形は成ったのである。めでたしめでたし。

 

    この曲はまだまだ解釈の途中。表題にもあるように“誕生れた意味”が重要なテーマだと思っているのだが、まだそこに十分な意味づけが出来てないのでそのうち。

 

    ちなみに再生時間5分切りという凋叶棕にしては珍しい短いvocal曲だったりする。これより短いvocal曲といえば「(I’m gonna eat you up!)」くらいなもので、私の中では“再生時間が短い=人が食われる”という安直な方程式が出来上がりつつある。

    もひとつ言うと、女郎蜘蛛は相手を食べる時頭からパクっといっちゃうことが多いみたいだ。

 

 

7.モノガタリの裏側

    小泉八雲という人物を知っているだろうか。彼はギリシャ生まれの小説家件日本民俗学者であり、怪談や霊などを扱った著書を残した。とある東京帝国大学名誉教師曰く「幻想の日本を描き、最後は日本に幻滅した」男だ。

    名前の時点で察する事ができるが、彼は八雲紫の元ネタの1人である。以前神主がトークショーにてメリーと紫の関係性について問われた際、ラフカディオ・ハーンが改名して小泉八雲となったことを挙げた。

 

    元ネタも幻想を描く語り部だった紫のインストがこの曲。それも他曲とは一線を画した、物語を“創り上げる”側の存在の曲である。幻想郷のシェヘラザードたる彼女の存在が提示されていることによって、あくまでこのアルバムは異類婚姻“譚”であることが意識させられる。娶で語られる物語は何処までが口承で、何処からが創作物なのだろうか……

 

 

8.[SiO2]の瞳 

    最も“頭おかしい”曲。ついにrebellionの続きが来たか‼︎ と思ったらこれだよ地獄かな?    サビメロが最高に好きなのでヘビロテしているのだけど、一回聴き終えるたびに嗚咽を漏らす羽目になっている。

 

    この曲については解釈できるところがいくつか。まず数列で表記された“あなた”について。単純に訳すだけであれば、二進数に合わせてデコードするだけなので簡単。

[1001101 1100001 1110010 1101001 1100010 1100101 1101100 0100000 1001000 1100101 1100001 1110010 1101110]=[Maribel Hearn]

    “あなた”ではなく“Maribel Hearn”ですらなく、このような二進数で表記されていること。これはまさにメリーが人工物であることの証左だろう。蓮子が理系人間であることを踏まえれば納得のいく話だ。

 

    次に“ガラス”ではなく[SiO2]であることの理由。SiO2、二酸化ケイ素の結晶といえばガラスのほかに水晶がある。これの石言葉が“神秘的”なのだ。掛詞的な感覚で捉えることができる。

 

    そして最後、

誰のものより綺麗よ、メリー。

 

誰よりも綺麗よ、メリー・・・

『[SiO2]の瞳』より

の歌詞のところ。この曲は他と違って、蓮子自身が口にして歌っている曲になっている。歌詞がそのまま蓮子の台詞だ。彼女はRDさんの言う“何でも言うことを聞いてくれるメリーチャン”に対して語りかけているわけであるが、私にはこれが自らに言い聞かせているようにしか聞こえなかったりする。

 

    “愛しい相手を形而上の存在にして永遠にする”という行為(殺したりだとか)はよく見かける。しかし蓮子は逆に“自らのそばから離れていって心の中にしか存在しない相手を、形而下に引き摺り下ろす”行為を行った。世界に絶対的指標を求める彼女からすれば“心の中”などという曖昧な世界での完全性は容認できなかったのだろうか。この辺りはもう少し考えたい。

 

    確定的なのは凋叶棕で描かれる秘封倶楽部の物語に、余りにも絶望的な一つのルート、エンディングがもたらされてしまったことだ。やはり凋叶棕はレイマリと秘封を生贄にアリスを崇める邪教……。

 

 

9.T/A/B/O/O

 最も”軽率”なこの曲。Twitterで散々軽率という言葉が繰り返されていたことや、代表的な山姥との異類婚姻譚である「食わず女房」の男があまりにもアホなことから、ソメヤ並みに頭が悪い男キャラが爆誕するのだろうかと予想していた。しかしいざ蓋を開けてみるとなんだ、実に賢い男じゃないかと感心した。そう、この男は賢い判断をした。少なくとも幻想郷においては……

 

  さて、このタイミングで”見るなのタブー”についてしっかり触れておこう。

    見るなのタブーは、世界各地の神話や民話に見られるモチーフのひとつ。何かをしているところを「見てはいけない」とタブーが課せられていたにも拘らず、それを破ってしまったために悲劇が訪れる、あるいは、決して見てはいけないと言われた物を見てしまったために恐ろしい目に遭う、というパターンが一般的だ。例を挙げると、ギリシア神話パンドラの箱」、日本神話「神産みの段でのイザナミイザナギ」「トヨタマヒメ(豊姫の元ネタ)とホオリ」、民話「鶴の恩返し」「雪女」「見るなの座敷」etc......

  なぜこのようなモチーフが広く用いられているのかについては、民俗学におけるテーマの一つとして研究が続けられている。いくつか論文をあさってみたのだが、私的には

 このような多くの民俗事例を見るに、人々にとって、山中は、里とは異なる「異界」であると認識されることが多かったと言えよう。全く別の世界であると意識され、厳しく分けられていた人間界と自然界の間を、我々の祖先は行ったり来たりしながら生きてきたのであった。
 だからこそ、自分を助けた若者に会うために、「鶴女房」の鶴は人の姿に化けなければならなかったし、ひとたびその正体が明らかになったならば、できるだけ早くそこから立ち去らなければならなかったのである。かぐや姫も月の世界に帰り、雪女も男の許を去ってしまうのである。また、逆に異界を旅した「舌切り雀」の爺も浦島太郎も、結局は自分の世界に戻っていく。
 それに対して、人間の世界と自分の世界が深い「溝」によって隔たれていて、お互いの世界に深く関わってはいけないことに全く気づかなかった「猿聟入り」の猿は、その「鈍感さ」ゆえに殺されてしまったとは解釈できないであろうか。

異類婚姻譚に見る日本人の自然観について ―日本人は動物をどのように見てきたか―』
名 本 光 男

https://www.jiu.ac.jp/files/user/education/books/pdf/833-56.pdf

 この考え方が一番しっくり来た。

 まあ曲を解釈するうえでは見るなのタブーとはなんなのかさえ知っていれば大丈夫だろう。興味のある方は調べてみよう、古来からの人々の価値観が色濃く描写されていて実に興味深い。

 

 さてそんな見るなのタブーであるが、この男、破ろうと思えばがっつり破れる状態にある。障子に歪な影が移っていること、夜な夜な包丁を研ぐ音にどう考えても気づいている。戸を開いてしまえばそのまま「食わず女房」ルート一直線である。

 しかしこの男はそうしない。幸せの秘訣と称して疑わない。恐れない。見ない。知らない。訊かない。探らない。理解らない。彼はその一歩を踏み出したが最後、愛する花嫁と共にはいられなくなることを分かっているのだ。

 

 幻想郷において、”知ってしまう”が故に起きた悲劇は数知れず。外の世界を知ってしまった易者が頭を割られたように。好奇心が強い少年がはじめに首を切られたように。霖之助も華仙に知らないほうが長生きできると忠告されていたり...... 凋叶棕楽曲であれば、見て来て知って渡って聞いて寄って理解って探ってしまった彼女が大切なものを知ってしまったように。永遠を揮う二色蝶の美しさを知ってしまったがためにその身を堕とした男のように。命という言葉を知ってしまったシノショウジョのように。

 

 そう、知らないものは知らないままに、わからないものはわからないままにしておくのが、幸せでいるためには必要なのである。

皆知らぬそ知らぬ何知らぬ

 それでなお誰もが知っている きっと―――

「東方人妖小町」より

  話は全てここに帰結する。こうした人と妖の関係の上に夢の国は成り立っているのである。本能的になのかは定かではないが、それを理解しているこの男は実に賢い。

 曲が好みなのもあって私の中での株は非常に高かったりする。しかしまあ彼の場合、一番の幸せの秘訣は……

  おあとがよろしいようで。

 

 

10.創られゆく歴史

    「モノガタリの裏側」同様、他とは一線を画す立ち位置の曲の一つ。これまで語られてきた物語、歴史を創る側の存在がここで提示されているわけだ。

    この2曲の存在によって、アルバム全体の解釈の幅が一気に広がるんだよね。言うなれば一つ上、メタ的なステージを考慮に入れて良いのだから。邪推するなら“『続かぬもの達が続かぬ道理の無く、人妖等の差別の存在しない蓋然性の低い世界観』を恣意的に作り上げたのが『東方』だ”なんてことも言えてしまう。

    この2曲をどう受け取るかによってこのアルバム全体の見方も変わってくるのではないかと。

 

 

11.蛙姫

  最も”怖い”この曲は明らかに他とは雰囲気が違う。それは花嫁の正体が唯一、妖ではないから。圧倒的な美しさと圧倒的な畏ろしさを同時に内包する神の血であるからだ。ここで描かれているのは早苗というより、諏訪子の血を引く一族の者たちと考えたほうが適切。あくまでその末裔として早苗の姿があるのみ。

 

 印象的なのはやはり燦月麗池照の歌詞と其不言不問不語の歌詞の対比だろう。燦たる月の照らす麗しき池をしてなお敵わない美しき緑の髪、玲瓏な眼は傍から見れば尊い。されど、誰も其れを言うことも問うことも語ることもしないが、その真の姿は蛙の姫であり内なるものはこの世の何よりも畏ろしいのである。

 

    少し異類婚姻譚における子供の話をしてみよう。子孫が残る伝承のものには、子孫にとって都合の良いもの(統治の根拠とする始祖伝説等)が多い。例を挙げるなら、綿月豊姫の元ネタであるトヨタマヒメと山幸彦の異類婚姻譚である「海幸山幸」では、トヨタマヒメの出産時に山幸彦が見るなのタブーを犯したがために2人は離れ離れになってしまう。そこで生まれた子の子孫が初代天皇である神武天皇とされているのだ。天皇は文字通り神の血を引いているのである。

    じゃあ早苗さん達はどうなんでしょうねっていう。異類婚姻譚のテンプレに当てはめれば解釈をこじつけられなくはない。

 

 まあこの曲は考察うんぬんというよりも、子をなし血を続かせていく彼女たちへの畏れを抱きながら、その在り方を受け止めるということ自体に意味があるように思える。言ってしまえば曲の完成度が非常に高くて、解釈の余地がほぼ残ってなくない…?というのが本音。

 

 

12.鳥よ

    最も“物語”な曲。「鶴女房」という異類婚姻譚にて、男が見るなのタブーを犯し離れ離れになった2人の、その先の物語だ。

    年老いた男の、回りくどい表現の何もない赤裸々な胸の内が表れた歌詞。なんて純粋で愛おしい感情なのだろうか。

 

    そして1番感動的だったの“傍にいられるように“というその為に、男が“空を翔んだ”ことだ。

    凋叶棕楽曲において“空を翔ぶ”というのは幻想の象徴でもある。

「ヤタガラスカイダイバー」自らと同じ光という幻想を求めた少女が空に飛び出していったように…

「スターシーカー」自分の物語を創るという幻想を求めた少女が空を見上げたように…

「パラレルスカイ」幻想をその身に塗れさせた少女が空に吹き上がったように…

  そして何より博麗の巫女にして幻想の象徴である霊夢の能力が「空を飛ぶ程度の能力」であるように…

  未だ見ぬ幻想を求めて空を翔ぶ、空に想いを馳せる、それはまさに「幻想浪漫綺行」

『凋叶棕アルバム“徒”より「ロストドリーム・ジェネレーションズ」』ーユトリーヌの東方同人備忘録

    誰かが空を翔ぶその時、そこには必ず美しき幻想が垣間見える。この男にとってのそれは、他でもない彼女だった。

 

    物語音楽っていいなと、1人しみじみと感慨に浸っていた。

 

 

13.東方人妖小町

 

    最も“東方”な曲。最初の方で『楽曲の意味を汲み取ろうと考えるまでも無く「言いたいことそのまま言ってるじゃん!」という曲が殆ど』と綴ったが、「東方人妖小町」がまさにそのパターン。言いたいこと全部歌詞に書いてある。

皆知らぬそ知らぬ何知らぬ

 それでなお誰もが知っている きっと―――

「東方人妖小町」より

結局のところ、アルバムの曲は全てここに帰結するのだから面白い。この曲に関しては少し触れる程度にしよう。

 

    私達の世界で言う「決してかなわぬ夢を抱く」が、幻想郷では「それが叶わぬ夢などなく」になる。

    「決して続かぬものなどはなく」は「それが続かぬ道理はなく」に。

    「決して分からぬものなどなく」は「それは分かるものなどでなく」に。

    「消して潰えぬものなどなく」は「それは潰えるものではなく」に。

    まさに「夢の国」だよね。本来ありえなかったもの達が、蓋然性の低い筈のもの達が、この世界から排他されてきたもの達が集う楽園は実に麗しく美しい。

 

    そんなあちらの世界からこちらの世界への、視聴者参加型凋叶棕。見開き左下の女の子、あなたは彼女を見てどう思ったであろうか。まさか「あぁ、ちっちゃい人間の女の子だな」なんて思ってはいないか?  さんざん誰知らぬそ知らぬ何知らぬと聞いてきたのに?

    彼女の名はチィ。「望」のジャケットや「童遊」、「申の二つ-『仲良し村の八人の仲間たち』-」等に姿を見せていた女の子だ。このこと自体に気づいた人は多いと思うが、そこからさらにもう一段階気づいて、……あれ? となったあなたはてぃあおクラスタ

    チィちゃんにはちょっとした設定がある。はなだひょう先生のブックレット絵が纏められた『綜纏 三怪奇』のデザインスケッチの項を見てみると……

 

チィ

   誰も本名を知らない

『綜纏 三怪奇』より

 

    ……分からないよ?私は知らない。知らぬそ知らぬ何知らぬ。果たして彼女はどちらなのか、気になっても戸を開けてはいけない。

 

 

 

 

    つらつらと雑感を綴ってきた。あくまで解釈の途中なので取り留めのない話題ばかりであったが、時間のできた時にしっかりとまとめ上げた考察をしたいと思う。まずは音楽として、純粋に心を揺さぶるものとして楽しもう。

 

 

 

“冬はアリス” ……アリスとはなんぞや

 

飛翔は幻想の象徴

 

円七面鳥「アンディファインドマーダーズ」

f:id:ogatamakoto012:20181108172012j:image

    どうも、ユトリーヌです。今回は東方紅楼夢14にて領布された円七面鳥さんの新刊「アンディファインドマーダーズ」について綴ろうと思う。

 

    まずはサークル主さんによる紹介文をば。

 

    読み手を徹底的に騙して、惑わして、常識的な認識を破壊しにかかってくる強烈な作品。全てがundefined。私はおそらく、著者の想定したであろう罠に完璧にハマっている。

 

    私は紅楼夢には参加しておらず、書店委託もされていない新刊であったので入手は厳しいかなと思ったのだが、サークル主の鍵入たたらさんのご好意により個人通販をしていただいた。

    11月中頃までは続けているそうなので、興味のある方は頼んでみてはいかがだろうか。というか初見で読んだ時の衝撃がすごいので、是非何も知らないまま騙されてみてほしい。



 

 

 

    さて、それではここから一つ一つの作品の感想を述べていこう。ちなみに私自身は『ノックスの十戒』『ヴァンダインの二十則』なら知っているよという程度のミステリー初心者。なので「この話にはこういう面白さもあるんだぜ⁉︎」みたいなことがあれば是非教えていただきたい。

 

    以下ネタバレ。

 

 

 

 

 

  • 彼女の思い出

    冒頭からいきなり謎をふっかけてくるこの作品。結論を知ってしまうと多少の出落ち感はあるネタなものの、最初に「なんだか認識がズレているぞ…」という感覚を抱かせるのはまさにコンセプト通り。実際1週目には早速ジャブをかましてきたぞとニヤニヤしながらページをめくったもんね。

    その次のページに見開きでタイトルが来ているのも、一気に引き込まれる要因となっているように思う。

 

 

 

  • バナナは見ていた

    さとり様の叙述トリック講義を聞いてる途中で、問題編のトリック三つのうち『視点人物の隠匿の叙述トリック』には辿り着き「これ根幹部分は完全に捕らえたんじゃないか…?」とニヤニヤしながら読み進めたら最後の最後でひっくり返された。作品のコンセプトを再確認。

    短編集の始めの方にこの講義を持ってきていることによってこの後のミステリーも格段に読みやすくなっているところに、構成の上手さを感じる。

 


    東方二次創作ミステリの魅力の一つとして、ノックスの十戒の1番「犯人は物語の始めのほうで登場している人物でなければならない」をガン無視できる事が挙げられると思っている。書き手と読み手の共通見解として原作の存在があり、双方がそれを把握していることを前提として話を進める事が出来るからだ。

    この短編の最大のトリックはまさにこのパターン。地の文と会話文の齟齬に違和感を感じ始めた所で、全くその存在が示唆されていなかったのに「あっ、これこいしの一人称なんじゃね…?」と思い至れるのが楽しい。

 

    また、所謂“1人1能力もの”のミステリーも大好きなので、さとりの読心能力によってしか成立し得ないトリックというのもツボにどストレートだった。まあこういうのは逆に“この人物でしか成立し得ないトリックがある”というのが看破された場合、芋づる式に犯人に辿り着いてしまうというデメリットもあるのだけれど(某シロクロのクマさんによる裁判ものを思い浮かべながら)。

    とか思ってたらあとがきで『古明地じゃなくてもこれをやるのが日本のミステリ界』とか書いてあって怖い。

 

   

    「え、最初から」という言葉で(まさか彼女の思い出bのこと言ってんじゃないだろうな…)と疑心暗鬼になったりもした。

 

 

 

  • 自律人形の夜

    “魂の在り処”を定義する為のアリスとパチュリーの問答が最高に面白いし私好みで惹かれたんだけど、何より凄いのがそれを叙述トリックに絡ませた上で本当に美麗な物語に昇華できてるところ。

 


    “叙述トリックの為のストーリー”だとか“哲学的な主張の為のストーリー”というのは結構よく見る。当然その狙い通りによく出来上がった作品は魅力的であるのだが、そのほかの部分でここも詰めればより良くなるのに…と残念に思うことも少なくない。

 

    しかしこの『自律人形の夜』はそれぞれがハイレベルな上で、それらを見事に1つに纏め上げている。

    1つ1つの話題にしっかりとした意味が持たせられてはいるが、どこか遠回しな言及だった問答。それがあの命題で一気に核心に切り込んできた時は、一瞬ぽかんとした後に震えがやってきたね。著者の技能が恐ろしい…。

 


    提示された哲学的な諸問題に対する明確な解答がなされなかった(エミーの最後の実験結果を含めて)のは、とても綺麗な終わり方だったように思う。目を覚ました私は、果たして私なんですかね。

    個人的にああいった議論は趣味、娯楽として楽しむ程度が一番だと思っているので、パチュリーには賢いと言ってもらえるかもしれない。アリスからしたら思考放棄に過ぎないみたいだが…。 与太話でした。

    

    あと読み進めながら「著者さんにSOMAやってみて欲しいな〜」とか考えてたら既にやってた。過程を考慮しない&交換でなく複製verのテセウスの船。アリスにやって頂きたいゲームNo.1だよね。

 

    気になっているのが、タイトル下のアリスの文章。解読できたりするのかね…?

※追記 構成担当のアラツキさんのツイート

 

 

  • ラテラル:ある親子の話

    水平思考ゲームは結構好きだったりする。友達内でよくやるのだけれども、ここまで高度な情報戦は見たことがないよ。あんなに効率的に可能性を潰せるものなのか…。


    咲夜の質問の意図を理解した上で、更に認識をずらしにかかる魔理沙も頭の回転が速すぎる。まあ結果的にはそれが墓穴になったわけだが。

 


    実際に現実のゲームにも落とし込めそうな戦略もあったので、参考にさせてもらおうと思う。「全て同じ“人物”を指すのか」とかは答える側として使えるし、問題を出す側でも「登場人物たちが正しい認識を持っているとは限らない」叙述トリックは使ってみたい。

 

    オチまで含めて本当に良く考えられてるわ。凄い。

 

 

 

  • 鵺的天鼠

    最初にした事は、タイトルの影が違う文字だったりしないかの確認(全てに対して疑心暗鬼)

 


    この話の最大のオチに関しては結構分かりやすかったかな。「あー……昼過ぎに取り込んだよ」という村紗(?)の台詞と「そう……それは、うん」というぬえの間の空いた台詞で察して、ナズーリンの一言で確信した。最後の川辺のシーンに入った所で、ラスト1文の内容まで予想できた。読み進めているうちにミステリ耐性が上がっている…。

    まあ自律人形の夜のパチュリー曰く「良い設問は回答者の自主的な推測を促すもの」なので、この短編もそういうことなのだろうなと。

 

    ただ、細かいところまで全て納得できたわけではなかったり。

    まず疑問なのがぬえの能力の応用範囲について。スペルカードから見てぬえは分身出来るっぽいので、村紗とぬえが同時に存在していることは納得。でも正体不明の種を分身につけたとして、どうやって村紗だと認識させていたんだろうかという。最初は強い言葉でそう認識させたのかと思ったけど、最初に分身が発言する前にナズが「ムラサは?」と話しかけてるから違うっぽいし…。

    あともう一つが濡れ煎餅のくだり。わざわざ2回も描写されてるので意味があるのだと思うんだけれども。どうなんですかね?

    このあたりはもう少し読み込みたいと思う。

 

 

    個人的に一番好きなのは雨を用いた描写。そのままの意味の天気雨がアリバイの根拠として用いられていると同時に、ナズーリンの一人称の文の中で比喩としての雨が用いられていることによって、「もし降られても、きっとすぐに乾いただろうさ」という言葉が2つの意味を持っている。よく考えられているなと。

 

    ぬえはこの短編集のトリを務めるのに相応しいね。

 

 

 

    以上が各話の感想。一番好きな話は「自律人形の夜」。ああいう哲学的ゾンビだとか主体性の話は大好きなので、それを更に他の要素と絡めて昇華しきっているのには感銘を受けた。これを読み終えた時点で、本棚のお気に入りゾーンに配置することが確定したよね。

    その他の話も、私の素人並み感ではあるもののミステリーとしてレベルの高いものに感じたし、各話の配置順等の構成も素晴らしかった。自信を持って人にオススメできる作品である。

第五回秋季例大祭一般参加レポ ペナルティについて等々

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    どうも、ユトリーヌです。先日の第五回秋季例大祭お疲れ様でした‼︎  早朝は生憎の雨だったけれども、開場ごろには止んでくれて良かったかな。

 

    例のごとく一般参加レポートを綴っていきたいと思う。主催さんと初めて交流できたサークルが沢山あった光の面と、割とちゃんと反省しなきゃいけない案件等の暗い面。双方が混在し、とても良い経験になったイベントだった。

 

    それではダイジェストで。

    

 

 

 

  • ハイライト

  • 前日の話

    さてさて、話は前日に遡る。

    私今回の例大祭はもともと不参加の予定だった。というのもリアルの方でどうしても出席しなければならない用事があり、泣く泣く書店委託を待たざるを得なかったのだ。まあどちらにせよ紅楼夢委託勢なのでまとめて入手しようと考えていたのだけれども。

 

    それが前日になって突然午前中だけ予定キャンセル。それじゃあ例大祭行くしかないっしょ‼︎  というわけで急遽参戦決定。慌ててカタログをとらのあなに買いに行き、twitterとPixivを漁ってサークルチェックリストと戦略図を作成した。

    最初は会場限定物だけ入手してさっさと帰るべきかなと思っていたが、あんなに期待を煽るサンプル群を見せられたら入手したくなるよ。しょうがないよこれは。

 

 

  • ペナルティ

    前回の第十五回例大祭にて始発来場した私。レポで懺悔した通り今回は始発を避けたのだが、それでもペナルティに引っかかってしまった。これは完全に認識が甘かったとしか……。

 

    というのも早朝っていつまでだと考えた時に「東京なんだがらみんな仕事で7:00位には動き始めるでしょ。そこがきっとボーダーラインだな」という結論を出していたのである。

 

    あらかじめペナルティ発表前に形成列の区切りの人たちに到着時間を聞いて回っていたのだが、どうやら今回は7:20〜7:30辺りがボーダーだったとの事。7:00は完全アウトじゃないか()

 

    これは私個人の見解なのだが、今回久々にペナルティが発動されたのは来年への布石なのだと考えている。

    オリンピックに伴うゴタゴタで来年は西館のみで、再来年は静岡での開催。ただでさえ運営の負担が重いのに、徹夜始発なんてやられたらたまったもんじゃない。そこで今年のうちにペナルティを発動して、来年以降の罪人達を牽制しようとしたのではないかと。

 

    この考えで行けば、しばらくは高確率でペナルティが発生すると予想される。徹夜始発来場はマジで誰も得しないからやめようね。7:30過ぎに到着するのがきっと賢いムーブ。

 

 

  • 装備諸々の話

    今回新たに持って行ってとても便利だった装備を二つ紹介。

 

    まずダイソーで売ってたこのクリアアタッシュケース&だいぶ昔に使っていたLEGO用ハードケース

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    これがめちゃくちゃ優秀だった。100均ではこれよりもう少し弱い素材で100円のハードケースが販売されている。しかしこれが使い切りみたいな感覚で、何も入っていない状態で少し人に当たると割れてしまう。会場間際の頃は当然中身が空なので危険だったりした。

 

    しかしこの300円のアタッシュケース、壊れない。ほんと壊れない。それでもってA4の薄い本20冊くらい入るし雨にも濡れないとかいう。トートバックに入れても良し。そのまま手で持ち運ぶも良し。相当強力な装備品だ。

 

    LEGO用のハードケースはそれ以上に丈夫な上、A4同人誌と文庫本を横に並べられるので平気で40冊くらい入るバケモノ。まあこれは気軽に手に入れられるアイテムじゃないのでおススメするものじゃないんだけども。

 

  

    続いてはアウトドア用の座布団。折りたたみできるタイプの奴。

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    これは割と同人初心者向けの装備一覧とかにもよく載ってるし、実際にイベント会場で持ち込んでる人をよく見かける。今回私も初めて持っていった。

    いや〜便利。これがあるだけで腰が楽。ガリガリなせいで尾骶骨を痛めやすい私にとっては三種の神器の一つになるのが確定。

    その上今回は屋外での待機で、早朝の雨で地面が濡れていた。これが無かったら3時間立ちっぱなしだった訳で…  恐ろしきかな。

 

    これらのアイテムは今後心強い相棒として共に戦場を渡り歩いてくれることだろう。

 

 

  • 動きにかなり慣れが

    10:30、拍手と共に開場。ペナルティ組は5分遅れて入場した。正直5分程度であれば新刊を入手出来ないなんて事態にはほぼならないのだが、人気サークルの色紙、ガレキ、スケブ勢は話が別。大体3分で決着がつく。

    私は「プレカレデウム」さんの先着一名のスケブ狙いだったのだが早々に諦め、領布数の少ないグッズを先に入手するムーブに変更した。そのおかげもあってか、限定30部だったり100部だったりのものも漏らさず入手することが出来た。

 

    こういう急な事態への対応はどうしても経験に頼るしかない。だんだん同人イベント参加者としての在り方が板について来たかなっていう。

 

 

  • 大きいバック、ダメ、絶対

    今回一番の反省点。板について来たと言った直後でなんなのだが、初心者でもそれはやらねえよというミスをしてしまった。

 

    先述したとおり当日フリーだったのは午前だけで、午後からは別の用事が入っていた。そのため着替えや仕事道具等を持っていかなければならず、そこそこリュックが肥大していた。ベルトを巻いて圧縮したりと、小さくする為の努力はしたのだがそれでもデカイ。

    そんなのを背負って人がごった返す会場を歩いたらどうなったと思う?  人混みを抜けようとしてサークルさんの目の前を通ろうとしたら、バックが引っかかって領布物を何点か落とすとかいう罪を犯したよ。ガチで申し訳ない本当にすみませんでした。

 

    サークル主さんが寛大な心の持ち主で特に咎められることはなかった上、落としたものを買うってのもお互い特をしないので、元の状態に戻して謝罪して終わりだった。やらかしたなぁ……

 

    持ち物は必要最低限にして、荷物を小さくしよう。今回のこれは本当に本当にギルティなので改善しなければ。

 

 

  • サイン byしじま うるめさん

    さて、ここからはサークル主さん達との交流の記録を。最初は「room-butterfly」のしじま うるめさん。

 

    第十五回博麗神社例大祭にて領布された「くらいくらいよるのやみよりくらい」がとても見事なストーリー構成で、感想を当ブログにて綴らせて頂いた。

 

 

    それがしじま うるめさんの元まで届いており、記憶にとどめていて下さっていた。やっぱり感想は積極的に発信していくべきだよね。

    自らの口からも感想を伝えたり、しじま うるめさんの方から今回の白い新刊「惹かれ引かれ魅かれ曳かれ光れ」は黒に比べてどんな感じなのかお話しして下さったりと楽しい時間を過ごすことが出来た。

    また、白い新刊にサインも頂くことができたのである。

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    素敵なお話しとサインをありがとうございました。今回の新刊も楽しませていただきます!

 

 

  • 「ALICE in 幻想LAND」にて

    続いてはグッズサークル「ALICE in 幻想LAND」での話。ここには第十五回博麗神社例大祭でも手に取った東方影絵トランプを、もう1セット入手するべく訪れた。

 

    実は前回も同じグッズを頂いたんですけどと話しかけたら、サークル主の星りんごさんが「ですよね! 顔覚えてます」と。サークル主さんからそんなこと言われたの初めてだったので、とても嬉しかった。

    前回の例大祭でも、取り置きをお願いしたらポストカードを作って下さっていた。とても素敵な方なんだな〜と。

 

    グッズの方もとても素敵なデザインで、当ブログのサムネに使わせていただいたりしている。

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傷つけるのがもったいなくて普通に使うことが出来なかったのだが、今回観賞用を入手出来たので心置きなく友人に自慢しながら使える。

 

    これからもグッズを見に顔を出したいと思います、星りんごさんありがとうございました!

 

 

  • スケブ byたぶんさん

    続いてはサークル「おそら区」にて。たぶんさんにスケブを描いていただくことが出来た。キャラは新刊の主人公こいしちゃん。

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    他の方々とは少し違った雰囲気、何処か退廃的な美しさを感じさせてくれる絵柄が好みにどストライクだった。

    新刊の「×××の食し方」も、こういう発想は一体どこから出てきてしまうんだろうか…という狂気の沙汰なので、非常に楽しみにしております。

 

    すてきな絵をありがとうございました!

 

 

  • スケブ by砂さん

    最後に「砂亭」での話。第十五回博麗神社例大祭とc94にて、凋叶棕の三次創作「縋」上下巻を領布なされたサークルさんだ。

 

    新刊の「幸秘談」を入手した後スケブを依頼したら快く受けて下さった。たしか本人ではなかったかな? シチュエーションも聞いてくださったので、シリアス目だと嬉しいと返していったんその場を去る。

 

    昼頃に戻ってきて、砂さんがお渡しして下さったのがこの魔理沙

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    見てくれよこの絶妙な表情を! 力強さの奥にどこか暗さを感じさせられる。それでも不敵な笑みを絶やさない魔理沙の姿が、そこにはあった。一目見て、おぉ…! と感嘆の声を漏らしてしまった。

 

    その時に砂さんと交わした会話が今回の秋例の一番のハイライト。

 

    砂さん「預けたスケブのメンツがメンツだったのでプレッシャーが…」

    毎回スケブは2冊持っていくのだが、そのうち一冊は過激派な方々や凋叶棕関係の方々に魔理沙を描いてもらうと決めている。今回砂さんにお渡ししたスケブはこちらの方。はなだひょう先生、とらんさんと来て砂さんだった。

    とらんさんがスケブを描いて下さった時も、はなだ先生の後だから気合い入れたと仰っていた。やっぱプレッシャーかかるよね…。なんだか申し訳ないことをしている気がする。

 

    砂さん「テレレ テレレ テレレレレレレレって「夢」の魔理沙曲が頭の中で流れながら描いたのでナイトメアでした(笑)」

    悪夢が頭を過るレベルよ。

 

    また、当ブログの凋叶棕考察も見てくださっているとのこと。嬉しいね、気合い入れて書かないと。テレレ テレレ デーン↑デーン↓デーン↑デーン↓(プレッシャー)

 

    新刊も楽しませていただきます。すてきな絵と時間をありがとうございました!

 

 

 

  • 同人イベント1人反省会

    それでは同人イベント恒例の反省会。まずは前回の夏コミで挙げた反省点を省みてみる。

 

  • サークルを回る順番

・・・c94では回るサークルが少なかったのでかなり雑に作戦を立てていた。今回は前日に急遽参戦決定の突貫工事だったものの、かなりガッチリとストラテジーを構築できたので当日全く迷うことなく買い物が出来た。また、ペナルティによる状況の変化にも柔軟に対応でき、完璧なムーブだったといえよう。えらい!

 

  • サークルさんへの差し入れ

・・・毎回反省点に挙げている気がするこれ。今回も突貫工事で時間がなく、用意できなかった…。あれだけありがたいことをして下さっているんだから差し入れはしたいよな。ちゃんと次は準備するんだぞ。

 

  • リュックのサイズ

・・・改善するどころか悪化してるんだよなぁ…。 午後からの用事の荷物を持っていく必要があったのでサイズが大きくなることはしゃあないっちゃしゃあなかったのだが、運営さんに預けたりだとかのやり方はあった筈。今回の事件はマジのガチで許されないので再発は絶対に防ぐ。

 

 

    そして今回の良かった点&反省点

 

  • ペナルティ

・・・初ペナルティ。早朝の認識を改めよう。先述した通り、ここからしばらくは毎回ペナルティが実施されると予想される。始発徹夜は運営、参加者共に特をしないので時間を考えるべき。7:30過ぎが安牌だぞ。

 

  • 装備品

・・・これは良かった点。アタッシュケースとアウトドア用座布団がかなり便利だった。これからも数が多くなりすぎない程度に色々試してみて、装備品を最適化していこう。

 

 

 

    とまあ、こんなところだろうか。今回は突貫工事かつ参加時間が短かったので、次の秋例ではいろんな企画に参加できたらいいなと思う。また良かった点と反省点のしっかりある、良い経験になるイベントだった。しっかり次に活かして、より良い東方同人ライフを送ろう。

 

    秋季例大祭という素晴らしいイベントの企画・運営をしてくださった準備会の方々。スケブを受けてくださったたぶんさん、砂さん。楽しいお話をして下さったしじま うるめさん、星りんごさん。そして幻想の生みの親ZUNさんへの最大限の感謝を持って筆を置こう。

 

 

    さてさて、戦利品を読んで感想をサークル主さんに伝えるまでが同人イベント。それが一番の恩返しだよね。

凋叶棕における「アリス」の解釈 何故に アリス は「アリス」足り得るのか

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 現存する最古のアリス

 

    どうも、ユトリーヌです。ここ最近はRDさんが積極的にJOYSOUNDへ改の曲を投稿して下さっている。カラオケ大好きマンの私としては嬉しい限りだ。まだ歌うことはできていないのだが、時間が空けば「絶対的一方通行 〜 Unreachable Message」を5周は回すつもりでいる。

    さて、その新たに投稿された曲の中に「ヒカリ ~ Miscarried Princess」がある。

    新たにアリス像を垣間見る為の燃料が投下されたこのタイミングで再考してみたのが「アリスとは何ぞや」という問い。

    そう、今回はパンドラの箱を開けることを試みようと思う。すなわち

 

    凋叶棕における「アリス」の解釈

 

である。あぁ、禁忌禁忌。これはいけない。果たして誰得なのだろう。

 

    「アリス」とは一体何であるのか、何故に アリス は「アリス」足り得るのか。

    凋叶棕考察における牙城にほんの少しでも穴を開ける為の基盤を作るべく、幻想を掴み取っていく。

 

 

 

 

 

 

 

結論

    始めに結論を述べよう。本当は「アリス」はRDさんの触れてきた全ての幻想を総括した言葉であり、本人以外に理解することなど不可能な概念だとは思う。しかしそこに愚かにも解釈を試みて、より核に近い部分の概念を一言で表すのであれば

 

    「アリス」はエゴイズム、及び人の”思考”のイデア。そしてこれをキャラクターの形に落とし込んだのが「アリス・マーガトロイド」なのではないだろうか。

 

 

 

    説明していこう。これ以降、概念としてのアリスを「アリス」、キャラクターとしてのアリスを  アリス  (特別な記号なし)と表記する。

 

    なお、非常に長い上に人によっては当たり前の事を暫く述べることになるので、メインである「「アリス」が色濃く滲み出る曲たち」以降から読み始めてもらっても構わない。

 

 

 

“思考”の無限性と絶対性

 

    根拠を述べる前に確認しておきたいことがある。それが“思考”の無限性、絶対性だ。

 

    人は脳内に広がる無限の宇宙の中で、一切の枷無く飛躍し続けることができる。そこに物理法則の壁は存在しない。全てがイデアの影でしかない現実世界とは違い、思考によって得たものは全て真実。

 

 

    そして究極的には自らの外側からの影響の枷もないと言える。よくある例を挙げていこう。

    アフリカで貧しい子供達が日々の中の小さな出来事で幸せを感じる一方で、先進国で豊かな暮らしを送りながらも自らを不幸と断ずる人がいる。

    同じ曲を聴いて琴線に触れて涙を流す人もいれば、主張の青臭さに恥ずかしさを覚える人もいる。

    人を傷つけることに快楽を見出す人もいれば、傷つけられることに快楽を覚える人もいる。殺されることに快感を抱くオートアサシノフィリアなんて性壁も存在するのだから収集がつかない。

 

    自らの外部から与えられる刺激をどう捉えるのか、その最終決定権を有するのは自らの内面だ。そうである以上人の思考にとって、外的な影響は枷にならない。

 

    この事について疑問を覚えるならもう一つだけ例を挙げよう。尊厳死についての問題が分かりやすい。生物である以上、生存欲は誰もが抱くものであり、本来逆らうなんて事態にはなり得ない。しかし人の深い思考によってそれを覆すことができてしまうからこそ、この問題が生まれたのである。

    人の内面の飛躍は、外側からでは決して止められない。

 

 

    ただ、思考の枷となり得るものが一つだけある。それが「知識」だ。知識は思考の基盤となる。それが不足していれば当然無限の宇宙を自由に飛び回ることは出来ない。よって思考を飛躍させる為に必要となってくるのが学習や研究である。

 

 

    以上のことを軽くまとめよう。

⚪︎“思考”をする上で枷となり得るのは知識のみである。それ以外によって“思考”を止めることは決して出来ない

⚪︎知識を得るためには学習や研究が必須

 

 

    当たり前といえば当たり前の事ばかりだが、後の「アリス」解釈で重要になる点なので押さえておこう。

 

 

 

何故「アリス」はエゴイズム、及び“思考”のイデアであるのか

    それでは具体的に凋叶棕曲によって描かれるアリス像を解釈していこう。しばらく各曲で登場するのはキャラクターとしてのアリスであるが、彼女の行動や心境を一つ一つ紐解いていくとそこに概念としての「アリス」像が現れる。RDさんが抱いた“思考”のイデアが垣間見える。

 

 

「研究と追及」の象徴たるアリス

    さて、凋叶棕曲は様々な形でアリスを描いているが、その中でもとりわけ多くの曲で印象的に表現しているのがアリスの「研究と追及」の側面だ。

 

  • 「砂鉄の国のアリス」etc...

    時系列的に見て、彼女のその様子が最初に現れるのは「シノショウジョ」。そこから「その扉の向こうに」を経て幻想郷に訪れたアリスは命の研究を重ねる。その様子が描かれたのが「砂鉄の国のアリス」や「ヒカリ ~ Miscarried Princess」等々。「墓標」や「somewhat trustworthy」もその一環だとする説もある。

 

    各曲でストーリーや曲のつながりには様々な解釈が存在するが、一貫して言えるのはアリスが自らの研究と追及の為に多数の犠牲を払っているという事、それにに対してアリス自身が罪の意識を感じていないという事だ。

 

 

    ここに「アリス」が“思考”のイデアである一つの根拠がある。再度“思考”について先述したことを述べると

 

⚪︎“思考”をする上で枷となり得るのは知識のみである。それ以外によって“思考”を止めることは決して出来ない

⚪︎知識を得るためには学習や研究が必須

 

であり、凋叶棕曲で描かれるアリス像に合致するのだ。

 

    アリスが“思考”の具現化であるならば、他人に彼女を止めることは決して出来ない。そして彼女は「研究と追及」を経て飛躍し続ける。

 

    また当然これらの行為は彼女の「命を知りたい」という欲求、エゴから来ているものである。自らの欲のために他人の犠牲を顧みないアリスは「エゴイズムの具現」と形容することもできるだろう。

 

 

 再度掲載。始めに見た時とは違った意味に見えるかもしれない 

 

 

    そして“思考”として高みを目指し続けたアリスはいずれ、魔界の唯一神にして「ヒカリ」の創造主である神姫を超えることもあり得るのではないかと考える。

   というのも「徒」の収録曲「交響詩「魔帝」より Ⅲ.戴冠式」と「逆」のインスト曲「交響詩「魔帝」より Ⅱ.  神話幻想」の存在があるからだ。

   

    後者の原曲が神姫のテーマであることから魔帝とは彼女のことを指すと考えれる。また「逆」のテーマが“逆転”であり次曲が戴冠式であることから、「交響詩「魔帝」」はアリスによる神姫への反逆を描いた曲であると解釈できるのである。

 

 幻想郷における神とは違い、魔界における神姫は絶対の存在。1キャラクターであるところのアリスが神姫を超えるなどといったことは本来あり得ない。それではなぜこのような逆転現象が起こったのか。それはアリスが”思考”の具現であるからだ。

 実存には何かしらの限界が存在し、絶対の神は決して超えることができない。しかし彼女は”思考”という天井のない概念の具現であるからして、それが可能となるのである。

    この逆転現象から考えると、「現実世界においては到底かなうはずのない唯一神を超え、完全な存在となったアリス」イデアへと到達した“思考”」という構図を見出すことが出来るのだ。

 

 

    この解釈に関してはまだ交響詩交響詩.Ⅰ が発表されていないことや、「ヒカリ ~ Miscarried Princess」の

神になろうとして
光になろうとして
世界を作りあげる真似をして…

そのあまりにも、拙い人形遊びは、止め処無く続いていく。

04 ヒカリ ~Miscarried Princess - 東方同人CDの歌詞@wiki - アットウィキ

という歌詞からいくらでもひっくりかえりそうではあるのだが、説を補強する為の一つの可能性と考えてもらいたい。

 

 

  • 「学習 < 研究」によるエゴイズムの形成

    知識を得る手段として学習や研究を挙げた。ここでは学習を「先人の知恵を吸収する行為」、研究を「独学で知識となる事象を発見する行為」とする。

 

    凋叶棕曲においてより強く描かれている行為は圧倒的に「研究」だ。先に挙げた曲らがそれに該当する。逆に「学習」の場面が描かれている曲は「Peaceful Distance」位のものだろう。その上これのメインはパチュリーの心情についてであり、アリスの「学習」についての曲ではない。

 

 

    「学習」は他人の思考を自らの中に取り入れる行為であるのに対し、「研究」は自らの思考を突き進めていく行為。後者は前者に比べ、圧倒的に“我”が強い

    これだけでなく「森で引きこもって”一人で”ひたすら研究してるのがアリス」的な呟きは見受けられる。より“我”の強い行為を引きこもりながら一人で行っていれば、そりゃあエゴイズムはより強い形で形成されていくよねっていう。

 

 

    『「研究」の方が物語にしがいがあるから多いだけでしょ。「学習」だってちゃんとやってるわ‼︎ 』という反論が帰って来そうだ。たしかに見えないところでそれ相応の「学習」はしているはずだし、「研究」の方が物語として映えるというのは全面同意。

    しかし今回はキャラクターとしてのアリスの物語というよりは、あくまでRDさんの抱く概念としての「アリス」を解釈しようという試み。彼の創る作品により色濃く「研究」が滲み出ているのなら、それを汲み取っていくべきだ。

 

 

 

    兎にも角にも、アリスが「研究と追及」の象徴であるが故に「アリス」が“思考”のイデアであること。同時にアリスがエゴイズムの具現でもあることが分かるだろう。

 

 

 

 

「アリス」が色濃く滲み出る曲たち

    さて、ここまではキャラクターとしてのアリスの行動や心情から概念としての「アリス」を掴み取って来た。ここからは概念としての「アリス」が直接描かれていたりと、より色濃く「アリス」が滲み出る曲の解釈を行なっていく。具体的には「アリスのわすれもの」「少女人形」「アリス・ザ・エニグマティクドール」の3曲だ。

 

 

  • 「アリスのわすれもの」

    幻想少女たちが忘却した物語たちを紡いだアルバム「音」  果たして彼女ののわすれものとは一体何なのであろうか。

    この曲、Googleで検索をかけると一番上に「アリスのわすれもの  考察」と出る程度には難解な曲。そもそも「音」自体がてぃあお力が高めじゃないと意味がわからないアルバムだったりするのだけれど……。

 

 

 

    最初に確認しよう。この曲の主体はアリス・マーガトロイドではなく旧作アリスである。

 

    虚ろな表情のアリスが怪綺談三面アリスばりに両側に上海人形を侍らせているのだが、どうも主体は悪戯じみた笑みを浮かべる旧作アリスのようである。シノショウジョの指から延びた何やらの紐が、マーガトロイドに絡みついている。多くの感覚等を司る、脳幹の神経系を模しているのだろうか。
    さて、旧作アリスとWin版アリスは連続性を明言されながらも、在り方に大きな解離がある。そこをどう結びつけるかは、アリス愛好家の長年の悩みであり嗜みでもあった。
この曲では、Win版アリスに対しての潜在意識として、根幹としての旧作アリスが存在を主張する。その関係性が、終盤で「不思議の国(すなわち幻想郷)」と「鏡の国」として隠喩されているのも興味深い(何故なら、鏡の国のアリスのラストは「主体と客体の不確かさ」が描かれているのだから!)

 

        卯月秋千先生 Privatterより引用

凋叶棕「音 omoi」についての刹那的感想 「RD-Soundsは『もののあはれ』の作家である」 - Privatter

 

    卯月先生の解釈が非常に分かりやすい。アリスがわすれてしまいながらも、その根幹に居残り続ける哲学。変わらないアリス・マーガトロイドの理念を歌ったのがこの曲だ。

 

 

    さて肝心なその哲学の内容だが、アリスが「研究と追及」の象徴である事を踏まえて聞き直してみるとかなり分かりやすいのではないだろうか。

 

    何かを知るために何かを崩すのが正しいことだと誰も知らない。

    魚達は血に群がり、猫は獲物で遊ぶじゃない。私だって悪いことはしていない。

    『幻想郷』は私の遊び場なのだから、なんだって許される。

    何かが動き、止まるまで。時が始まり、終わるまで。一つの秩序を解き明かす!

 

 

    先述した文章を繰り返すと、読み取れるのは

    アリスが自らの研究と追及の為に多数の犠牲を払っているという事、それにに対してアリス自身が罪の意識を感じていないという事

そして何より、彼女の“追及”の姿勢だ。

 

    彼女が、決して止めることの出来ない“思考”とエゴイズムの具現であることの最大の根拠がこの「アリスのわすれもの」である。

 

 

    少し話はずれるが「はじまりのクロ おしまいのシロ」と「七色の魔法」については卯月先生の解釈がビンゴだと思うので是非読んでみて頂きたい。

 

 

 

  • 「少女人形」

 

    続いては凋叶棕随一の闇アルバム「夢」  アリスの地雷をとことん踏み抜いていこうと思う。

 

    その前に彼女の「人形使い」としての側面について少し考えたい。

   彼女は操る人形達は総じて中身を持たない。人の形をした器、人の型、ヒトガタでしかないそれらを“思考”の具現であるアリスが動かすその様は、頭や心といった内面部分が外面部分である身体を動かしている構図に近い。

    繰り返そう。アリスは「操る側=内面=絶対性を孕んだ“思考”」であり、人形は「操られる側=外面=中身のない器」に過ぎないのである。それを踏まえて曲を聞いていこう。

 

 

    さて「夢」のB4Fに位置するこの曲はアリスの悪夢を歌ったものだ。よってここで描かれるのは総じて、彼女にとっての恐怖。その恐怖の正体を一つ一つ紐解く。

 

 

    アリスが目を開くとそこには、一様にアリス自身と同じ顔をした無数の少女達。当然人形の『主』である彼女は操作を試みるが、その声は届かない。そして中心に居座る一際大きな少女はアリスに問うのである。

 

    例え素体(からだ)が自由に動かせたとしても、その心を操る糸がないと   ど    う    し    て    言い切れるの?

 

    あなたの生きてきた世界がただの幻想でないと保証するものはないのに、そうと    ど    う    し    て    言い切れるの?

 

    ほら、あなたはただのヒトガタに過ぎないのに  ねぇ?

    

 

    アリスにとっての恐怖の一つ目、それが「絶対性の消失」

    何度も述べている通り、アリスは“思考”の具現である。そしてその“思考”は知識以外に枷が存在せず、止めることのできない絶対的なものであるのだ。

    しかしこの悪夢はそれに疑問を呈する。

    素体(からだ)を自由に動かせたとしても、その心を操る糸がないと    ど    う    し    て    言い切れるのか。アリスが「操作する側=絶対性を孕んだ“思考”」である事を疑う。

    あなたの世界がただの幻想ではないと、誰も保証してくれないのにそうと   ど    う    し    て    言い切れるのか。“思考”や内面は絶対性を孕みながらも、その根拠は実存せず自分の中にしか存在しないしない事を突いてくる。

 

    あげくアリスはヒトガタ「操られる側=中身のない器」に過ぎないと言うのだ。これが二つ目の恐怖「内面である事の否定」

    アリスは“思考”、“エゴイズム”といった人の内面部分の具現化である。そんな彼女を人形だと断ずること、中身を持たないただの器でしかないと突きつけること。それは彼女という存在を完全否定することと同義だ。

    

    「絶対性の消失」「内面である事の否定」  存在そのものを否定するそれらを前に、アリスの精神は蝕まれていく。

    しかし悪夢はまだ終わらない。

 

 

 

    己の自意識が虚ろになる。己の拠る場所、誇るべき“思考”の絶対性が削られていく。己を繫ぎ止める唯一残された鎖は「アリス」という名。

    しかしその悪夢はその名を名乗ることを許さず、無慈悲な判決を下す。

 

    この罪人形

        アリス偽証罪

            アリス詐欺罪り

                アリス窃盗罪し

                    アリスでないのに

                        アリスであるという

 

    畳み掛けるように悪夢は問う。

    

    アリスという名を名乗りアリスという言葉を重ねただけで、あなたがアリスであると    ど    う    し    て    言い切れるの?

 

あなたはただの生けるヒトガタ、その全ては作られた幻。それを誰も否定しないのに そうと    ど う し て 信じられるの?

 

    

 

    自らが無限性と絶対性を持つ誇るべき存在である理由であり、最後にして最大のidentity。それがアリスという名。悪夢はそれを否定する。アリスが「アリス」である事を罪とし、判決を下すのだ。

 

    そう、これが彼女にとって最大、最悪の恐怖  「「アリス」の否定」

 

    無限の可能性と絶対性を有し、何者にも止めることのできない“思考”。それが「アリス」であり、アリスがアリスたる所以である。それを否定されてしまった時アリスという実存は存在意義を無くし、そこにはまさに中身のない器、生けるヒトガタだけが残る。

 

 

    こうして全てを否定された『少女≠人形』『少女≒人形』に。『少女≒人形』だった悪夢は『少女≠人形』に。真の姿を暴き出し、立場を逆転させた悪夢は最後の問いを投げかける。

 

 

 

   己が己たる所以を知っているのはその心だけ、然るに儚いエゴでしかない。それが    ど    う    し    て    正しいのか?

 

    もし、己が手がけた人形に心が宿ったのなら。「心」は真正であると そうと    ど    う    し    て    信じられるか?

 

 

    この問いは「アリス」とアリス、それぞれの抱える矛盾への言及だ。

 

 

    “思考”の無限性と絶対性、その根拠は実存しない。自らの中にしかない。そうであるならば、それは儚いエゴでしかないのではないか。

    概念としての「アリス」の抱える最大の矛盾

 

    外側からは決して止めることのできない、独立して絶対であり続ける内面部分。外側から創り出すことのできてしまったという時点で、それは真正な「心」では無いのではないか。

    仮にそれが真正な「心」ーー内面部分であるならば、“思考”という内面部分のイデアである「アリス」も外側から創り出すことのできる概念だということになってしまい、その絶対性が失われてしまうのではないか。

    アリスが自律人形の創造、「心」を生み出す事により生じる矛盾。

 

 

    アリスはこれらに答えを返す事が出来ず、自らはただのヒトガタに過ぎないのかと絶望するのである。

 

 

 

    以上が「少女人形」の解釈。アリスに投げかけられた問いはどれも、“思考”の抱える弱みからくるものだ。この曲も「アリス」が色濃く滲み出たものの一つと言えよう。

 

    そしてここで思い返してみてほしい。これらの疑問を突きつけてきたのは、何も世の全ての理を知った超常的な存在などではない。あくまでこれは「夢」。 アリスが自ら作り出した幻影であり、彼女の潜在的な意識が浮き出たものだ。

    そう、あれらの恐怖と問いはアリス自身が抱える自己矛盾。彼女の更なる飛躍の過程で、いつか乗り越えなければならない壁なのである。

 

 

 

 

 

 

    幻想少女達の秘密を覗き見る、趣味の悪いアルバム「密」  その中でもこの曲は「暴く」という行為を強く押し出しているように思える。アリスが「アリス」の具現であるが故に成立する解釈を通して、その行為の独善性と少年の動機を紐解いていく。

 

 

    始めに原作には存在しないキャラクター、所謂「オリキャラ」について考察したい。これは自論になるのだが、オリキャラが二次創作に登場するとき、そこには2つの意図があると考えている。

    1つは、既存のキャラクターでは果たし得ない役割を担ってもらう事。凋叶棕で言えば霧島リサ、ソメヤetc...   そしてもう1つが、作者本人に近い思想を持たせて代わりに主張をしてもらう事。よくあるオリキャラ幻想入りものの主人公なんかは、このタイプが多い気がする。

 

    凋叶棕曲のオリキャラはほぼ全員が前者であり、物語の展開を豊かにしてくれる存在として登場する。しかし「アリス・ザ・エニグマティクドール」の少年だけは特別で2つの意図を内在する、つまりRDさんの思想がにじみ出ているように思えるのだ。

 

    最大の根拠が、少年に「ロストドリーム・ジェネレーションズ」的、「エクスデウス」的思想が見て取れるということ。

    凋叶棕の中でも「ロストドリーム・ジェネレーションズ」は、私たちの現実世界へのアンチテーゼというような面が強いように思える。描かれるのは未知を暴いた先の虚無感と空白。

    またFeuille-Morte名義の曲「エクスデウス」おいても、同等の主張がなされている。こちらに関しては更にその先をも示唆する美しい物語に仕上がっているのだけれども。

    双方共に幻想少女への解釈ではなくRDさん自身の主張がなされた楽曲。この「未知を暴いた先の虚無感と空白」という思想を少年から感じられる一幕がある。

 

    悪しき魔女の正体を暴き晒し、勝利宣言とも取れるような言葉を紡いだ少年はふと自らに問う。

でも
その全て暴いた暁
その先には何が待つのだろう

奮う蛮勇 返す忘憂
一途な思いに突き動かされ

06 アリス・ザ・エニグマティクドール - 東方同人CDの歌詞@wiki - アットウィキ

    暴いたその先に対して疑問を抱き、「暴く」という行為を蛮勇、忘憂だと断ずる。これはまさにRDさんが過去に描いた思想そのものではないか。

 

    その他にも、少年からはアリスへの深い追求の姿勢が感じ取れるし、アリスに焦がれてるし、アリスに独善的なエゴを押し付けてるし、

 

 

らしいし。これについてはRDさんはアリスから声をかけてもらいたいと仰ってるのでちょっと違うかもしれないが。

 

    とまあそんなところで、この少年はRDさんの思想が強く反映された存在であると言える。彼のアリスに対する姿勢から「アリス」を読み取ることができよう。

 

 

    しかしここで言わせてもらいたいのが、あくまで“少年=RDさん”ではなく、“少年≒RDさん”であることだ。何故なら少年は「作者本人に近い思想を持たせて代わりに主張をしてもらう」ためのオリキャラというだけでなく、「既存のキャラクターでは果たし得ない役割を担ってもらう」ための存在でもあるからだ。

 

 

    少年についてもう少し深く解釈してみよう。

    彼は命のない人形の命観る演技を「本質を隠しうる魔法」とした。少年にとっては人形の中身こそが本質であるらしい。  あれ?  誰かさんも確か、“内面部分”を本質とし、それが否定されることを怖がっていたような……。

    少年は蛮勇とも形容できるような一途な思いで事を成し遂げたらしい。  あれ?  誰かさんも確か、“思考”という在り方によって、目標のために研究と追求を重ねていたような……。

    この曲では最後を除いた全てが少年の一人称で描かれ、アリスの内面は直接描写されない。また彼の行動動機も全て彼の独善によるものであり、アリスへの一方的な思いの押し付けである。  あれ?  誰かさんも確か、自らのエゴによって行動し、他を顧みなかったような……。

    そして少年は、人形の首をはねるという行為によって“思考”、内面の具現であるアリスを暴き出した。  あれ?  誰かさんも確か、「何かをしろうとして何かを壊すことが、正しいことだと誰も知らない」と言っていたような……。

 

 

    もう言いたいことはお分かりだろう?  先述したことも踏まえると、少年はRDさんの追求の姿勢、“思考”の反映されたエゴイズムの具現である。

 

 

    即ち少年はRDさんであると共に「アリス」の具現なのだ。

 

    

    「アリス」と「アリス」の邂逅を描いた曲、それが「アリス・ザ・エニグマティクドール」

 

 

 

    さて、そんな少年がアリスの内面を炙り出し何をしたかというと、まず盛大に地雷を踏み抜いていく。即ちアリスを”素体”ではないかと、ヒトガタに過ぎないのではないかと疑問を呈するのだ。この質問がアリスにとってなにを意味するか、「少女人形」を読み解いた皆さんにはお分かり頂けるだろう。

    そして少年のしたもう一つの行為が、アリスを『自己愛の権化』と断じたこと。少年がRDさん的思考を持っているのであれば、「アリス」が自己愛、エゴイズムを内包した概念であり、アリスはその具現であることの証明となるだろう。

 

    曲を聞く私たちからしたら、エゴイズムの権化がエゴイズムの権化に『自己愛の権化』と言い渡すハイレベルな状況。

ええ、非常にアリスですよ。アリスアリス……。

 

 

    この状況を是非、アリスの目線から考えて欲しい。ほらそこの君、アリスの目線でものを考えるなんて不可能でしょとか言わない。頑張れ。

     自らの鏡合わせのような存在が現れて、暴くという独善的な行為、一方的な思いをぶつけられる。挙げ句の果てにそいつは自らを指して『自己愛の権化』などという言葉を発するのだ。アリスは明確に“エゴをぶつけられる側”の心情を味わったのである。

 

    結局のところ、アリスはそれらに返答することなく少年を9人目にしてしまうし、彼女の内面は直接描写されない。少年からは狼狽えているように見えたらしいが、他人の感情を読み取る上でエゴイスティックな彼の感覚は当てにならない。

    しかし、常に自らの目的の為、研究と追及の為に他を顧みない“思考”を貫いてきたアリスが、「アリス」という在り方を客観視するという事。彼女にとってこの出来事がいかに大きいものであるかは想像に難くない。

 

    これからのアリスの飛躍の中で、何かしらの形で影響することになるだろうと思うのだ。もしかしたらこの出来事によって潜在意識に沈んでいたエゴの儚さが表面化して、悪夢を見るようになったのかもしれないしね。

 

 

 

 今後の「アリス」について

 ここまで色濃く「アリス」が滲み出る曲の解釈を行なってきた。

 

 根幹に居座り続ける飽くなき追求の姿勢を描いた「アリスのわすれもの」

 避けられぬ自己矛盾への問いかけを描いた「少女人形」

 「アリス」と「アリス」、自らの鏡との邂逅を描いた「アリス・ザ・エニグマティクドール」

 

 これらはアリス曲の中でも最新の3曲(「随」に『仲良し村の八人の仲間たち』があるが、蓬莱人形よりの楽曲である上に、アリス曲としては「アリス・ザ・エニグマティクドール」と同じ場面を描いたものであるので割愛)である。

 「改」あたりまでの曲は、キャラクターとしてのアリスの行動を描いてそこから概念としての「アリス」を読み解くようなものであった。対して最近の曲は直接、概念としての「アリス」を描写したものが多い(アリス曲に限らず、凋叶棕曲全体が抽象的な概念を取り扱うことが多くなってきている気がしないでもない)。

 キャラクターのアリスが辿る道のりを考察する場合、曲が発表された順番は時系列に直接関係しないので気にする必要は一切ない。しかし今回解釈しようとしているのはRDさんの思い描く「アリス」像であるので、これを無視するわけにはいかない。

 

 おそらく「アリス」という概念は今、再考されるべき時期を迎えているのだと思う。10年という時を経て、凋叶棕は「祀」を区切りに新たな始まりを迎えた。その中で「アリス」という概念、アリスという少女もまた、新たな飛躍を始めるのである。

  そういう意味で、個人的には次に来るアリス曲が大きな意味を持つのではないかと考えている。「アリス」とアリスの次なる歩みは果たしてどのような方向へと進んでいくのか、非常に楽しみだ。

 

 

 

 

 

まとめ&補足

多元的なアリス

 さて、もう一度結論を述べておくと

 

 「アリス」はエゴイズム、及び人の思考のイデア。そしてこれをキャラクターの形に落とし込んだのが「アリス・マーガトロイド

 

 である。そしてこれを基にした楽曲解釈も同時に行ってきた。ここまで読んでみていかがだっただろうか。恐らく納得のいっていない部分も多いのではないだろうかと思う。

 再度冒頭に記した文章を載せよう。

 

    始めに結論を述べよう。本当は「アリス」はRDさんの触れてきた全ての幻想を総括した言葉であり、本人以外に理解することなど不可能な概念だとは思う。しかしそこに愚かにも解釈を試みて、より核に近い部分の概念を一言で表すのであれば・・・

  

 そう、あくまでこの結論はより核に近い概念を模索したものであって、「アリス」という概念すべてを包括した言葉ではないからだ。

 

 実は「アリス」とは一体何であるのか、RDさん本人が明文化している。

 

 これが正しい結論。異論は認められない。

 

 しかしこれだけでは凋叶棕楽曲における「アリス」を解釈しきるには不十分であることもまた事実だ。よって私たちはアリス曲を考察するために、より具体的に「アリス」という概念をくみ取っていかなければならないのである。

 その一環として今回は、楽曲とRDさんのツイートから読み取れる最も「アリス」の根幹に近いであろう部分を模索したというわけだ。

 

 

その他のアリス曲

 今回触れられていないアリス曲に関しては、この「アリス」の根幹からは外れているように解釈している。しかしそれでも「アリス」を表現した曲であることは変わりない。むしろ「アリス」を解釈するうえで、また違った視点を私たちに提供してくれる重要なものであるのだ。

 

 

 幻想少女と幻想郷のもしもを描いたアルバム「喩」のアリス曲、「はじまりのワイゲルト」なんかは分かりやすい。

 

Q5.「上海アリス」という名前がアリス・マーガトロイドに由来するという明確な言及は無い。

はいいいえ

 

 本来は「言及されていない」のが正しい。しかし ”いいえ” を選択したとき、物語は動き始める。たとえIF世界であったとしても、そこには確かな幻想が花開く。

 事実であるかどうかは関係ない。「上海アリス幻樂団」のアリスは「アリス」の具現であるアリス・マーガトロイドに由来するという幻想が、RDさんの中には確かに存在するのだ。

 

 楽曲の内容自体は、森鷗外の著書「舞姫」を読めばすぐに納得できるものとなっているので、未読の人は読んでみてほしい。現代語訳verも含め、Web上で全文読むことができる。

 

 すべての幻想の創造主たる神主のサークル名が「アリス」であることの重さ。これがまた「アリス」の絶対性を示唆してくれるのである。

 

 

 この他の曲からも、様々な視点で「アリス」は読み取ることができる。どこかのタイミングでそれらもすべて含めた解釈を提示したいものだ。

 

 

終わりに

 最後に少しだけ綴らせてもらおう。「アリス」解釈のすゝめ

 

 私は凋叶棕を愛する全ての人に、自らの思考によって「アリス」という概念への各自の答えを導き出してほしい。

 何度も述べた通り、私は「アリス」の根幹部分をエゴイズム、及び人の”思考”のイデアと解釈した。アリスについて深く考えるその過程で“思考”の無限の可能性に気づくことができた時、「アリス」という概念の絶対性と美しさもまた感じ取ることが出来るのだろうと思うのだ。

 故にまだこの過程を踏んでいない人がこの考察を読んでしまった時、その気づきの機会を奪ってしまうことになる。いわゆる“ネタバレ”である。

 だからこそもしここまで解釈を読んでくれた人たちの中でまだ「アリス」について考えたことのない人がいるのであれば、是非とも”思考”をしてほしい。この解釈をあなたの答えにしないで欲しい。

 「アリス」という幻想を見出すには、結果を聞くだけでは足りないのだ。”思考”の過程を踏んで始めて「アリス」に出会うことができる

 

 

 ・・・どこから目線なんですかねこれは…。

 

 

 

 さて、「アリス・マーガトロイド」という1キャラクターについて語るだけで15000文字の長文となってしまう程に、凋叶棕の世界観は広大で奥深い。それも唯々曲数が多いだけではなく、一つ一つの物語があれだけ人の心を動かしうるものであるのだ。素晴らしきかな凋叶棕よ。

 そんな美しくも恐ろしい、力強くも儚い… 言葉で表し切ろうとするならばそれこそ「アリス」と述べるしかないような物語を生み出し続けるRDさんをはじめ、CD制作にかかわる方々。そして全ての幻想の生みの親であるZUNさんへ最大限の感謝をもって筆をおこう。

 

 

p.s.凋叶棕は「レイマリと秘封を生贄にアリスをあがめる邪教」とか言われますが、アリスについて考えれば考えるほど彼女が絶対的なものに見えてくるので割と正しいと思います(ぐるぐるおめめ)