ユトリーヌの東方同人備忘録

幻想をわすれえぬものにする為に…

幻想物語寄稿集より「幻想の旅人」

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  どうも、ユトリーヌです。今回も凋叶棕合同小説、「幻想物語寄稿集」から。特に考察の難度の高かった「幻想の旅人」の感想&考察を綴っていく。他の短編の感想等は別記事にあるのでそっちへどうぞ。

 

 

 

  初見時には正直「ん?私って結局誰よ」だの「唐突にゆかれいまりの会話が入ってきて唐突に物語が終わったぞ」だの、はてなマークがいくつも頭上に浮いてきたわけだが…。文章をしっかり読んでみると物語が繋がってくる。

 

    以下ネタバレ注意。

 

 

 

 

 

 

  先に考察の結論。これは幻想少女達の“夢”と“幻想”への認識を描いた、そして蓮子とメリーの秘封倶楽部再興のための最初の一歩を描いた物語である。

 

 

    順を追っていこう。まず最大の問題点「“私”とは誰か」である。当然これが分からなきゃ考察は進まないわけだが…。断言しよう、彼女は「宇佐見蓮子」だ。根拠を挙げていこう。

⚪︎口調(一人称“私”、語尾が「〜だわ」)

⚪︎「「管理下」以前だって世界は自然な状態では無かったけれど」  ディストピアは昔から人工、合成物で溢れてたらしいぞ…。

⚪︎「身勝手な事だけれど、理性的ではないけれど、それでも。」  基本的に、物事は理性的に考えるべきだという思考が読み取れる。

⚪︎そして決定的な根拠、“私”についての話、夢についての話をする紫の台詞だ。霊夢の「昔のことでも思い出したの?」という問いに対して紫は「そうかもね。私が今の夢を抱いた頃のことをちょっと思い出してしまっただけですわ」と言ったのだ。この作品が凋叶棕曲の三次創作であることを踏まえれば紫=メリーなのであり…もうお分かりだろう?

 

  “私”=蓮子、紫=メリーである事が確定すれば、物語は凋叶棕曲も交えてどんどん形を成して行く。

  舞台はメリーがすでに紫となってしまっている時間軸。蓮子は「rebellion-たいせつなもののために-」にてメリーを探し出す決意をするわけだが、技術的特異点発生までに見つけることはできなかったのだと考えられる。なぜなら、

⚪︎蓮子がメリーと共にいるのであれば、早々に夢のないVR世界で過ごす決断をするはずがない。

⚪︎蓮子は超統一物理学を専攻する、幻想郷的非常識からは遠い存在。常識の結界である博麗大結界を超えるのは、それこそメリーの様な非常識の存在といない限り不可能だと考えられる。

  メリーを見つけられないまま、技術的特異点が発生。蓮子が早々に人工知能支配下に下ったのは、メリーのいない世界に夢と期待を見出せなかったからなのではないだろうか。

  そうして長い時間がたち、物語本編の出来事が起こる。蓮子は「VR世界で過ごすことがこの上ない幸福である」という世界の常識を打ち破ったのである。ここでようやく非常識へと至った彼女は博麗大結界を超えることとなる…。

  もしくはこのタイミングで紫が蓮子を神隠しした事も考えられるのだが…。私はこの説は違うと思っている。理由は後述しよう。

 

  物語を時間軸に沿って纏めるとこうだ。

  ⚪︎「幻想郷そのもの」を夢に抱いたメリーが紫となる。(絶対的一方通行、The beautiful world、etc...)

⚪︎残された蓮子がメリーを思い出し、探し出す事を決意する。(rebellion-たいせつなもののために-)

⚪︎しかし非常識に至る術を持たない蓮子はメリーを探し出すことができない

⚪︎技術的特異点発生&ディストピア形成。抵抗する人々も多くいたが、メリーのいない世界に夢と希望を見出せない蓮子は早々に支配下に下る。

⚪︎VR世界で長い時を過ごすも、ある時その世界で過ごす事が幸せであるという常識を打ち破る。その結果非常識側の存在となって、幻想郷へと誘われる。

⚪︎紫と蓮子の再開

⚪︎蓮子が永琳の元へ、そのまま入院

⚪︎紫が霊夢に蓮子の話、夢の話をする

⚪︎霊夢魔理沙がお喋り、そのまま日の出を迎える。

⚪︎同時刻頃に蓮子退院。幻想の世界で旅を始める。

 

  以上が全体の流れの解釈である。凋叶棕好きであれば誰もが気になったであろう、メリーが消えた後の蓮子の動向。秘封倶楽部の物語は蓮子が幻想入りした事によって再び動き始める…。

 

 

  これ以上に解釈を進める為にはもう一つ考察しなければならない。幻想少女たちは“夢”と“幻想”についてどう認識しているのか、だ。これを考える事によって、物語のさらに奥深くが見えてくる。

 

  まずは霧雨魔理沙から見ていこう。最初が彼女である理由は、物語全体の夢についての基本方針が読み取れるからだ。

  宴会の後、霊夢魔理沙が語らうシーン。霊夢には千客万来賽銭万歳!という小さくて漠然とした夢はあるものの、自分の芯になるような強い夢は無い。そんな彼女に魔理沙が言った言葉に彼女の夢への認識が現れている。

「夢ってのは弱い奴が立ち上がるために持つものなんだ。本当に強いやつってのは夢なんかなくたって、自分の理想に沿った行動を出来る。それが出来ない弱い奴だけが、指針としての夢がいくつも必要なんだよ」

  強者は夢を抱かなくとも理想に沿った行動ができる。夢として認識した時点でそれは叶う事のない妄言であり幻想でしかないのである。

  逆に弱者は夢を抱いてそれを指針としないと行動が起こせない。だからこそ叶う事は無さそうな、幻想に過ぎないような事にも挑み続ける事ができるのだ。

 

  “強者”と“弱者”、この対比を軸に幻想少女達の夢への認識は描かれていく。

  いくつもの夢を追い求める魔理沙は“弱者”、自分の芯となる夢を持たずとも博麗の巫女としての使命を全うし続ける霊夢は“強者”側だ。

  ちなみに先ほどの魔理沙の台詞の後、魔理沙「もし霊夢が立ち直れなくなるようなら、私が霊夢の前に立ちはだかってやるよ」  霊夢「あんたはその幻想を追い続けてなさいな。追いつかれてはやらないわよ」という会話がある。強者側である霊夢が幻想だと言っている事を考えると…。強い光の中にほのかな闇を感じる、レイマリ推しとしては非常に熱いシーン。(この会話の中に闇を見出すとかもう末期なのでは⁉︎)

 

  次に八意永琳。彼女になぜ人間は月にやってくるのかを尋ねられた蓮子は「夢だったから」と答える。それに対して永琳が言った言葉

 「夢ねぇ。そんなのは幻想でしかないというのに」

  夢を抱いた時点でそれは幻想でしかないという思考。永琳は分かりやすい“強者”側だ。彼女の存在が強者と弱者の対比をより強めている。

 

  それを踏まえて八雲紫について考えてみる。彼女程の大妖怪であれば、本来は“強者”側にいて然るべきであるが…。夢はあるのかと霊夢に問われた紫の言葉は別の事実を示す。

  「私の夢はこの幻想郷そのものですわ」「夢は最後までやり残しておかないといけないのですわ」「今の夢を抱いた頃のことをちょっと思い出してしまっただけですわ」

  そう、紫は夢を追い求める“弱者”だ。なぜ大妖怪である彼女が弱者であるのか、答えは明白。彼女は昔、パートナーと共に幻想を追いかけていた人間「マエリベリー・ハーン」であったのだから…。

  しかし彼女の夢が「幻想郷そのもの」だけであるとしたら疑問が残る。霊夢曰く、達成したかどうかもわからない曖昧な夢でしかない。弱者には明確に達成したかどうかの分かる、指針となる夢が必要なのだ。それに紫は「夢は最後までやり残しておかないといけない」という。彼女にはまだ達成していない明確な夢があるはずだ。

  ではそれは一体何なのか。霊夢にそのまま溺れていろと言われてしまうような、そんな幻想に過ぎない夢。人間っぽさを醸し出しながら紫は思い出すのだ「今の夢を抱いた頃」の事を。

  八雲紫マエリベリー・ハーンの夢は「蓮子と共にいる事」  それも、蓮子がVR世界に入るまで神隠ししなかった事を考えれば「蓮子に自力で自らの下まで辿り着いてもらう事」なのではないだろうか。

  私が、蓮子は紫に神隠しされて幻想入りしたとは考えない理由である。

 

  そして最後に紫の、メリーの夢を託された宇佐見蓮子について考える。なぜ月にやってきたのかという質問に対して、「理由を聞いたことはない&今の私が思う」とした上で「たぶン、ユメ、だったかラ……」「それデも、それガわたしタちのゆメだから…」と言ったり、「目的や目標のない旅は地獄」と考える彼女は紛れもない“弱者”側である。

  そんな蓮子が描く夢とは何か。VR世界を脱する時の記述「私の世界(きおく)は、たったひとつの夢となった。」それが答えだ。VR世界ではなく私自身の記憶、歩いて来た世界を指針にする。夢にする。それが彼女の決断。紫の言葉で言えば「文明に奪われた世界(きおく)を取り戻すこと」である。

  今は持ち得ない蓮子自身の記憶、一度は取り戻したものの文明によって奪われた記憶、親愛なるパートナーと共に歩いてきた世界の記憶、それを取り戻す事が彼女の目指す夢。そう、紫、メリー、蓮子の目指す夢はまさに《秘封倶楽部の再興》に他ならないのである…

 

  共に願った夢、それが《秘封倶楽部

 

  幻想郷にとどまる事を決めた蓮子は姿を変えたメリーのもとにたどり着く事が出来るのか、それはまだわからない。しかし私は、彼女たちが更なる幻想を求めて世界を走り回る日はそう遠くないと思うのだ。

 

  夢を現にかえる存在、それが《秘封倶楽部》なのだから…

 

 

  以上、長々と考察を綴ってきた。当然この物語は三次創作であり凋叶棕曲の描く物語の本筋ではない。しかしrebellionの続きとして非常に完成度の高い、実に美しい作品である。こんな未来もあるのではないかと思うと救われたような、しかし感傷的な不思議な気分になってしまうのだ。

 

  著者の桶住人のmistさん。今回初めて作品を読んだのだが、想像力を刺激されるような広がりのある世界観だと感じた。幻想物語寄稿集-金-のほうで「ハロー、マイフレンド」のお話を書かれているようで、また凄まじく奥の深い話が展開されるのでは?と非常に読むのが楽しみである。

 

  このような素晴らしい作品を作り出してくださった桶住人のmist様、幻想物語寄稿集企画者のはーしぇん様、凋叶棕主宰RD様、そして幻想の生みの親ZUN様へ感謝したい。

 

 

  実はこのブログを書いているのは第十五回例大祭の形成列に並んでいる真っ最中なのだ。今回は凋叶棕の新譜はないものの委託曲が数多くあり、また幻想物語寄稿集の作者の方々も新作を発表される。是非ともそれらを入手して、感想をつらつらと綴りたいものだ。