ユトリーヌの東方同人備忘録

幻想をわすれえぬものにする為に…

room-butterfly 「くらいくらいよるのやみよりくらい」

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    どうも、ユトリーヌです。今回はroom-butterflyさんの第十五回博麗神社例大祭新刊「くらいくらいよるのやみよりくらい」について綴っていこうと思う。

    この小説、今年の例大祭で唯一買い逃した作品だったりする。売り切れだったとかそういう訳ではなく、単に私のチェックミスによるものなのだが…。後日メロンブックスで入手することとなった。みんなも買い逃し対策はバッチリしていこうね。

 

 

 

 

 

 

 

概要

    さて、まずはサークルさんによる作品の紹介をば。

 

 

 

    同サークルが八年間で創り上げてきた鬱ネタ死にネタバッドエンド小説をこれでもかと詰め込んだ闇の書である。名前からしてもう真っ黒。

    私がroom-butterflyさんの小説を読んだのは今回が初めて。ドロドロした、どぎつい鬱というよりは、真っ直ぐで読んでいて心地の良いバッドエンド(?)といった印象だった。

   そして何よりストーリー構成が素晴らしい。最後に「スターライト」という作品を持ってきたことによって短編集全体に深い意味が生まれている。これについても後述する。

 

 

 

各話感想

    それでは1つ1つの物語について触れていこう。なお、あとがきによると数多くのバンドや曲のタイトル等からインスピレーションを受けているとのことなのだが、私はその辺りに疎いので全くネタに気づけてないとあらかじめ述べておく。

 

    以下ネタバレ注意

 

 

 

 

  • あなたをこいにおとすから

    わかさぎ姫をメインにした暗い作品はあまり目にしたことがなかったので新鮮だった。わかさぎ姫の“愛”じゃなくて“恋”なのが良いよね。んでもってタイトルがひらがな表記なのも好き。

    また幻想郷のシステム、人間と妖怪の共存のあり方について言及されているのが面白い。確かにこうなってしまったら夫婦共々死ぬのが一番合理的だよなっていう。

    日本では童話の影響で人魚は悲恋のイメージが強かったりする。だが、妖怪”としての人魚には昔から「美しい歌声で船人達を惑わし、船を難破させてしまう」、「海にいると突然現れて海底の神殿に連れていかれ、不老不死にされてしまう」といったような恐ろしい伝説があるのもまた事実。

    認識がものをいう幻想郷では双方ともが綺麗に組み合わさり、こんな人魚姫が生まれるのかななんて考えてみたりする。

 

 

    救いはどこ…、ここ…?  「秘封ディストピア合同」なんてハイレベルな合同があったのか…。めっちゃ読みたい。

    なんというか、自分の余命を宣告されても調子の変わらないのは私の中の蓮子像に一致していて、だからこそ後半の「……死にたくない」っていうのは強く印象に残った。死に恐怖を抱くことが禁忌である世界への反抗、ディストピアからの逃避。メリーは蓮子を奪わせないと自らに誓う。神様になんて祈らない、こんな世界じゃ神様だって信用できやしないから…。

    そんなディストピアだが、あくまで作り上げたのは人間たち自身であるということが私をやりきれない気分にさせる。小町の言葉を聞いてしまったら、寿命を知ることができようができまいが恐怖の根源をぬぐいきれるようになる日は来ないんだろうなと、そう思えてしまう。

    あとがきが好き。「この蓮子とかいうやつは本当にスペランカーよりも簡単に死ぬな。」

 

 

  • ラファータ

    リョナラーとしての血が騒いでしまう非常に不健全な作品。ほら、咲夜さん普段から普通に人肉調理してたり妖精殺したりしてるから、キレたらああなっちゃうのはしょうがないね。うん。最後に大きな溜息をついた理由が“仕事が増えたこと”とかいう鬼畜さよ。

    妖精の命って本当に軽いな…。片腕消し飛んだ状態で帰ってきたサニーに、妖精自身が“まるで虫ケラみたい”って言っちゃうんだもんな…。死ぬたびになぜ死んだのかも忘れて蘇る彼女たちはある意味幸福なのかもしれないが、それがいいように扱われてる一番の原因となっているんだから哀れなこった。無常無常…。

    私個人としては磔のシーンと絶叫のシーンを非常に楽しめたので満足です本当にありがとうございます()

 

 

  • ぱらいそろんど

    どこまでも純粋で真っ直ぐなレイマリバッドエンド。この2人はどちらかが歪んでいたらもちろんのこと、2人とも真っ直ぐな純愛でもすぐ闇になる。救いようがない。

    わたしの中では(というより凋叶棕クラスタはみなそうな気がするのだが)“空を翔ぶ”という行為が“幻想”そのものの象徴というイメージで、だからこそそれを自らの能力とする霊夢も“幻想”の象徴であるというイメージが強い。

    そして“幻想”というのは私達一人一人が東方の世界へ向ける“こうであってほしい”というエゴと同義で、だからこそ霊夢には二次創作をする各人のそれが一番わかりやすく現れるのだと思うのだ。

     しじまうるめさんの霊夢は“少女の儚さ”の代弁者。魔理沙はそんな彼女の部分を受け止めきれなかった訳だ。「霊夢はこのままじゃなきゃ、綺麗なままじゃなきゃいけないんだ!」 この言葉がこの作品におけるレイマリの全てを表している気がして、とても愛おしい。

 

 

  • 浴室

    蓬莱人メインの小説を読んでいると、さも当然のように死生観を超越した設定や会話が出て来るので面白い。しかし、長いこと東方同人に触れている人々はもう慣れてしまっているのでは?という感じもする。

    彼女らを舞台の外側から観察している私達でさえそうなのだ。一つ屋根の下で共に生活なんてしようものなら完全に感覚が麻痺してしまうんじゃないだろうか。ここの住人たち、あまりにも死に対する姿勢が常人離れしすぎている…。

    この作品の何が好きかって、鈴仙が脈絡なく唐突に死に、その原因が一切語られないことによって、より彼女たちの死生観のズレが強く現れているところなんだよね。

    重いはずの“死”という出来事があまりにも軽く描かれているように見えてしまう。書かないということによってその違和感や不気味さがより引き出されている。いやぁ、見事としか言えない。

 

 

  • 灯火に似る花

    “魔界”という世界に対する新解釈。原作で描かれる白蓮たちの物語がただ一つの幸福な世界であるならば、当然“選ばれなかった世界”である魔界で上映される物語は…。

    一輪、水蜜、星との間で起こる悲劇を繰り返すその間の、神綺の語り口が非常に興味深い。確定した可能性の中で『軍に進んで協力し戦争画を量産した最悪の画家』となった男。ガンマ線バーストの波に飲まれた地球。それらを回避しえる“正しい”選択肢なんてものは存在しなくて、ただ結果論として“正しかった”選択肢だけがあるのだ。無限に存在する可能性達は魔界に蓄積されていく。

    私達読み手は聖と一緒に悲劇を目にするわけだが、どこかわずかな安心感を感じてもしまうんだよね。何故ならあくまでそれらは“もしもの”物語だから。ここで上映された末路は、彼女達が実際は辿ることのなかった道程だから。if...if...if...

    しかしそのわずかな安心感をもむしり取ってしまう星蓮船の墜落。果たしてこれは選ばれたたった一つの結末なのか、それともこれさえも上映された一つのifにしか過ぎないのか。

    「答えはまさしく神のみぞ知る。そう、『選ばれなかった』世界の神である、この私だけがね」

 

 

  • 義務と礼

    「かぐもこ前提のけねもこ」とかいうタチの悪い作品、いいぞもっとやれ。基本的に慧音先生は常識人として描かれることの多い幻想郷の良心。そんな彼女がここまでヤンデレを地で行くのは正直驚きを隠せないといったところ。「私は妹紅を治療するためにやっていたのに…」

    慧音の心情は物語中でおどろおどろしく描かれているのでまあ理解できる。輝夜もそうだよね、蓬莱人ならではの殺意をまとった愛の価値観だよ。問題なのは妹紅‼︎  おまえ、えぇー!おやすみ慧音じゃないよおまえはぁ〜…。

  「妹紅は自らが受けた仕打ちは必ず返す。殺されれば必ず、同じやり方で殺す。」とは輝夜の言葉。蓬莱人同士でのやり合いってのなら分かるんだけど…。報復マシーンじゃないんだから、何かしらなかったのかね。というのが、読み終わった当初の感想。

    少し時間が経って思い始めたのが、死から最も遠い存在であるが故に死を娯楽として享受できる妹紅にとって、死と隣り合わせな存在なのに自らの欲で“殺す”という行為を行った慧音はどう見えるか。

    妹紅にとって本来蓬莱人以外は殺していい生命じゃなかったんだ。だって弱い人間らにとって、死というのは娯楽や欲求程度でもたらしていいものじゃないんだから。しかし慧音は自分のエゴで生命を奪う行為をした、ならば彼女は娯楽で殺しあいのできる“こちら側”だよな。

    永遠の命を持たない者が、蓬莱人と同じステージに立とうとしたことによる悲劇だったのかなっていう。

 

 

  • スターライト

    最後にこの話を持ってくるセンスよ。 ここまで描かれ続けてきた、くらいくらいよるのやみよりくらい世界。そしてこれらの物語は最後の主人公である蓮子が光を投げるシーンで幕を下ろした。弱々しい豆電球のような、しかし決して絶やされることのない光。夜の向こうで待つ名前を知らない、名前を忘れた、そして名前を忘れられない誰かに向けて…。

    当然これによって以前の物語の主人公達が救われたわけではない。しかし最後の物語がこうやって終わるということに意味がある。どこまでも続くかのように思われたくらいくらいよるのやみよりくらい世界に光がともったのだから。

    しかし私は思うのだ。この「スターライト」という作品は本当にハッピーエンドだったのかと。だって蓮子は、メリーはここにいないという事実を受け入れて進むことを選んだんだよ?  確かに蓮子はそれで光を取り戻した。でも秘封倶楽部の在り方が、二人以外の第三者と共にあるように変わった。二人で一つの秘封倶楽部ではなくなったんだ。

    蓮子が最後に光を投げたことによって、それ以前の物語から続いたやみが照らされた。しかし「スターライト」をハッピーエンドど取るのかバッドエンドと取るのかで、この光が本物なのか紛い物であるのかが変わってくる。「くらいくらいよるのやみよりくらい」という短編集全体がどのような終わりを迎えたのかが人によって明確に変化する。ストーリー構成として完璧なのではないかと。

 

 

 

  • 総評

    短編集として非常に完成度の高い、素晴らしい作品だった。一つ一つの作品がえげつないといったものではないので、バッドエンド初心者にもオススメできるのでは?

 

    あとがきを読んでいると同サークルの「断絶」という作品が百年に一度の出来栄えというらしく、とても読んでみたいと思う。またギャグコメディ人情に満ち溢れる光の書の方も後日発表なされるとのことで、一緒に並べて本棚に飾りたいなと。バンドに詳しければ白版のタイトルも予想できるんだろうな〜

 

    さて、蓮子が言うように小説を通じて光を投げるということが出来るのなら、作者であるしじま うるめさんの投げた光を私は受け取ったと言えるわけで。

    幸いにして現代には光が届いたという事を伝えるツールが幾らでもある。そういう意味でも心に残った作品はどんどん感想を発信していきたいし、願わくばそれが著者さんにも届いたらなと。

    そんな事をも考えさせてくれた「くらいくらいよるのやみよりくらい」だった。