ユトリーヌの東方同人備忘録

幻想をわすれえぬものにする為に…

凋叶棕「娶」雑感想

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 どうも、ユトリーヌです。あけましておめでとうございます。昨年から始めたこのブログですが、当初予想していたよりもはるかに多くの方々にアクセスしていただいて大変感謝しております。今年も、相まみえた素晴らしい東方同人へ抱いた感慨を忘れえぬものにするべく、つらつらと言葉を綴っていきたいと思います。よろしくお願いいたします。新年のあいさつはこのくらいに。

 

 

 凋叶棕の新譜が領布されましたね! 発表前からRDさんがTwitterで散々邪悪な単語を呟いていらしたり”最悪”という言葉が出てきたりと、不穏な感じしかなかった「娶」。いざ実物を手にし聞いてみると、冬のてぃあおだ……という初感でした。光の例大祭、闇の夏コミ、アリスな冬コミ。 東方という物語そのものを表現しているという印象が強いのは、間違いなく冬のてぃあおです。

 今回もその例にもれず、東方世界の根幹を担う観念の一つである”「人」と「妖」の関係性”を「異類婚姻譚」というテーマを通して追及したもの。タイトルが発表された時点でワクワクが止まりませんでしたよ、ええ。

 

 ......新年一発目なので口調を丁寧にしようと敬体の文章にしてみたが、やはり常体の方が性に合っているのでそうしたいと思う。

 

 さて今回のこの記事だが、未だ考察はおろか、解釈の段階すら終えられていないまま綴ったものなので、取り留めのない雑感という表現が適切であるかのように思う。リアルが忙しいなりにできるだけ早く初感を後から振り返れる形にしておきたいが故の記事なので許していただきたい。皆さんの考察に役立つ情報がちょっとでも提供できれば万々歳である。

 

 前置きはこの程度にして、内容に入っていこうか。

 

 

 

 ジャケット、レーベル等について

  • ジャケット

 発表当初は花嫁の影が鶴に見えていて「見るなのタブーの代表例である鶴女房は衣類婚姻譚の象徴である」と声高々に口にしていたのだが、よくよく見たら鬼っぽくない......?となったジャケット。はたしてこの女性は誰なのだろうか? というより私たちの知る東方キャラのうち○○だと断言することができるだろうか?

 単純に黒髪であることだけから推察するなら、「娶」収録曲から文、ぬえ、蓮子。 収録曲以外なら輝夜、お空、村紗、影狼、抗鬱薬おじさんetc... いまいちピンとくる人妖はいないように思えないだろうか。影が鬼のようであることを考えればなおさら。そもそもおでこから2本の角が前方に伸びているキャラいる?

 

皆知らぬそ知らぬ何知らぬ

 それでなお誰もが知っている きっと―――

「東方人妖小町」より

 

 「娶」の最大の主張、人妖の関係性を最も簡潔に表した歌詞である。これを“モチーフ”として描いたのがジャケットであるのではないかと思うのだ。さながら「騙」のモチーフとして描かれたまりさめきりさちゃんのような。

 東方キャラを表すモチーフとして重要なパーツであるZUN帽や装飾は見つからない。「うつろわざるもの」にて(我々の知る天子から)うつろいでいく天子が、朽ちかけた桃と投げ放たれたZUN帽で表現されていたように、これらがないということは決して無視できない意味を持つのである。今回で言えば”この女性が誰なのかを特定できない”ということが。

 一見して人のように見える花嫁。対峙する花婿にも当然そう見えていることだろう。少なくとも今は。しかしその実、彼女には裏がある。夫の前では見せようとしない妖としての顔が。そしてこれも重要な点の1つであるのだが、花婿は少し前かがみになって右を向くだけでそれに気づいてしまう状況にあるのである。だが彼の視線は花嫁の表の姿、光にあてられた人としての姿だけを向いている。これが続く限りこの二人の幸せな日常は続いていくことだろう。

 ほんの少し花婿が疑念を抱き、それを暴こうとしたその時点でもろくも崩れ去るような、繊細なバランスの上に成り立っている日常。それが私たちの知る幻想少女だけではなく、幻想郷では普遍的に、蓋然性の高い事象として行われている。ジャケット絵が表現したいのはこのことなのではないかと。

ほら、あなただって知っている。戸一つ隔てた先にいるのは―――

CD用帯より

 ちなみに綿帽子は本来白無垢のみと合わせられるものであったのが、最近は色打掛用のものも出てくるようになったんだとか。ジャケットの女性も最近の流れを知っているのか、はたまた幻想郷には独自の神前式文化があるのか。想像するのも楽しそうだ。

 

  • レーベル、バックインレイ表・裏

 ジャケットをたっぷり堪能したところでケースを開く。はてさて、そこには角隠しをかぶった自分自身の姿が…… 御冗談を、最初は娶の文字に目がいくでしょうよ。

 レーベルに描かれているのは角隠し。顔があるべき部分には何もなく、真正面からのぞき込めば自分自身が写る。まあそのこと自体は「喩」のレーベル反射がたまたまだったこともあり、聞き手が意味を付加できるならどうぞくらいのものだと思っている。

 

 私的レーベルの解釈は二つ。

 一つ目だが、凋叶棕アルバムにおいて共通する法則の一つに「CD中心の穴が物語の入り口であり、重要な意味を持つ」というものがある。「夢」では、ドレミーの夢魂に触れて幻想少女達の夢の中に入り込んで行くように。「奉」の物語が、コインを手にするところから始まるように。「屠」にてジャケ子を殺す様が示唆されているように。「謡」では阿求の部屋に入っていくように。

 「娶」もその例に漏れないのであれば、CD中央部に”何もない”、すなわち角隠しの下が”正体不明”なのが重要であるということになるだろう。

Yes,I know it.

She might be a Yokai,a terrible monster.

But What's so wrong with it?

There is no difference.

Humans,Yokais,everyone is----alien to me.

CDレーベル英文より 

  角隠しのその下は、人間であろうと妖怪であろうと分からない。

 

 二つ目だが、バックインレイにかかわってくる。表側、曲目が書いてあるほうを見ると、白無垢に身を包んだ花嫁たちが中身のわからないままに描かれている(領布前日にメロンブックスにてこの面だけ見せていただいてびびった。月光条例のあいつとかハリポタのあいつとかちょっと怖い)。CDレーベルに戻り、これを取り外してみよう。すると正体不明だった花嫁たちの姿が鮮明に見えてくるのだ。vocal曲にて歌われるメインの幻想少女たちだ。

 つまりだ、「神前式の衣装に包まれて正体をわからないままにしていた花嫁たちから角隠しをはぎ取り、その正体を暴いた」ということになる。見るなのタブーをガン無視していくスタイル。ここから物語は始まってゆく。

 

 

各楽曲について

 それではここから楽曲に移っていこう。しかしながら今回のアルバム、各楽曲の完成度が高いというか、物語の合間合間に隙間が全然見当たらなくて解釈の余地が少ないように思える。楽曲の意味を汲み取ろうと考えるまでも無く「言いたいことそのまま言ってるじゃん!」という曲が殆ど。

    なので曲自体の解釈というより、元ネタの異類婚姻譚からの視点等、さまざまなベクトルから曲を見て妄想しようぜみたいな感じで。

 

 

 

  霊夢枠の代わりで、上記の最も○○がvocal曲を指しているのであれば、最悪枠はこの曲ということになる(正確にはchorus曲だが)だろう。

 

 神前式にて行うことの一つに「祝詞奏上の儀」というものがある。祝詞とは神々に対し申し上げる言葉のこと。神職が神にふたりの結婚を報告し幸せが永遠に続くよう祈るのだ。祝詞は各神社によって内容がバラバラで統一されておらず、神主が作成するものだという。日本各地の神社を包括する宗教法人である神社本庁から、その例ともいえるものが発行されている。

掛けまくも畏き某神社の大前に(斎主氏名)恐み恐みも白さく、

八十日は有れども今日を生日の足日と選定めて、何某の媒妁に依り、

某所に住みて大神等の御氏子崇敬者と仕奉る何某の何男某と、

某所に住める何某の何女某と、

大前にして婚嫁の礼執行はむとす。

「改定 諸祭式要綱」より一部抜粋

  一部を抜粋したものであり、全文はもうちょっと長い。これを参考に「祝言」の文を書き出そうと試みる。

 

掛(か)けまくも畏(かしこ)き博麗神社の大前に
恐(かしこ)み恐みも白(まお)さく、
八十日日(やそかび)は有れども今日を生日(いくひ)の足日(たるひ)と
選定(えらびさだ)めて〈花取の〉礼(いやわざ)執行(とりおこな)はむとす

天なる月を 思へ
地なる山へ 対(むか)へ
心つなぎ  かたれ
力示せ   助け

〈かくはみときは〉
変わることなく
行末永き
移ろうことなく

斯くも目出度く 斯くも目出度く
〈わがくものかかるは〉
斯くも目出度く 斯くも目出度く
汝が誓詞(うけいごと)

斯くも目出度く 斯くも目出度く
今居ぬ言葉して
斯くも目出度く 斯くも目出度く
恐み恐み白す

 

 といったところだろうか。()内は難解な漢字の読み、〈〉内はいまいち聞き取れなかった部分なので参考にならない。ここ以外もあくまで私の耳で聴き取っただけであるので盲信してはいけない。一応『改定 諸祭式要綱』の例文に照らし合わせてはいるのだけれど……

 

  さて少し考えたことを書いてみると、

  •  博麗神社と言ってはいるが、あくまでこれは霊夢枠ではない。となれば博麗神社が代々続けてきた祝詞であると推察できる。「東方人妖小町」にて今尚続く昔ばなしについて歌われているが、代々博麗神社は異類婚姻に関与してきたのだろうか? だとしたら最悪枠というのにもうなずける。
  •  ”最悪枠”という言葉であるが、私はこれを光闇といった考え方での”闇”と同義だとは考えていない。というのも 

 という言葉があったので。RDさんのツイートを見ていると”蓋然性”という概念は曲を作るうえで重要なファクターを担っているのである。「一定の蓋然性が線引きの条件」であったり「あまり多用すると蓋然性を損なう」だったり。今回の「娶」においては光と闇といった概念で考えるのは少々ナンセンスかもしれない。蓋然性の高低をもって”最悪”だと考えてみよう。そうすれば博麗神社が異類婚姻の神前式に関与している楽曲ということの整合性が取れる。

  • 〈花取の〉と予想した部分だが、花嫁をとるという意味以外に

という意味もあるのかな〜と。

 

 まああまり深いことは考えず、今までのアルバム通りに1曲目は物語の導入くらいに考えてもよさそうなものだったり。

 

 

2.あの日のサネカズラ

 異類婚姻譚(人と妖とは言ってない)。最も“雄大”な曲。“婚姻”、“幽香”と聞くとやはり連想されるのは「彩」なのだが、

人の及ばぬところ、あるがまま咲き誇る。

 

ーそんな世界こそが、どこまでも美しい。

『いとおしきものに、うつくしきものに』より

と言っていた彼女が人と恋愛関係に至るのがあまり想像できなかったので、聞きながら(ゆうかりんだ…)と一人納得していたこの曲である。

 

    表題のサネカズラを用いた詩が百人一首にある。

名にし負(お)はば 逢坂山(あふさかやま)の さねかづら
   人に知られで くるよしもがな

           三条右大臣(25番) 『後撰集』恋・701

    詩の意味はとても分かりやすく解説されたサイトがあったのでそちらを参照してほしい。

【百人一首講座】名にしおはば逢坂山のさねかづら 人に知られでくるよしもがな─三条右大臣 京都せんべい おかき専門店【長岡京小倉山荘】

“来る”と“繰る”が掛詞になっている点など、まさに幽香を連想させる詩だ。

    加えてサネカズラの花言葉が“再会”であること、花は依代であるということ。これらを踏まえて、雄大な自然と時の流れに想いを馳せてみよう。咲き果てた花々と仲睦まじく契りを、約束を交わす彼女の姿が見えてくる。

 

 

3.??の花嫁

  言いたいことはレーベルについての項で綴ったことと大体一緒で、簡単に言えば

Yes,I know it.

She might be a Yokai,a terrible monster.

But What's so wrong with it?

There is no difference.

Humans,Yokais,everyone is----alien to me.

CDレーベル英文より 

 ということである。

 

 それだけでは味気ないので、原曲よろしく平安時代の婚姻について少し話してみよう。この時代の貴族が恋愛をし、結婚に至るまでの手順だが、

男性がどこかから「◯◯家の上から△番目の姫が美人らしい」などの噂を聞く

男性から女性にラブレターを書く

女性の親がラブレターの内容や男性の官位・身分などを考えて、娘にふさわしい相手をある程度絞り込む

親の認めた相手に女性が返事を書く

しばらく手紙のやり取りが続く

男性が御簾(すだれ)ごしに会いに来て女性と話す

何回か通って話す

男性がその気になったら、女性の寝室に忍び込んで(年齢制限回避のため省略)

三晩続けて通い、結婚成立・お祝い

平安貴族の「通い婚」はどんな手順で進んだか? 嫉妬と憎悪の「妻問婚」 - BUSHOO!JAPAN(武将ジャパン)

という流れになっている。ここで注目したいのは、情事を営むようになって始めて男性が実際に女性の顔を見ることができるということだ。この時代では、人間同士ですら「??の花嫁」であった。異類婚姻譚でよくみられる、戸越しに妖と人間が語り合うシーンなどはここからきているのだろうかと予想してみたり。

 

 

4.伴に歩くその心

    最も“力強い”曲。こんなん勇儀姐さんに惚れないわけがないんだよな…

    お前は数多の怪異と出会うだろうよ。幾多幾度も挑まれるだろうよ。それでも負けるな、逃げるな、終わるな。お前の傍で鬼が、私が立っていてやるから。

    「お前と望む景色がある」とかいうあまりにも真っ直ぐな言葉。これ言われたら確かに人間やめちゃえるわ。

    地獄の桜吹雪に吹かれながら笑顔を浮かべる勇儀姐さん。単純な絵面だけでも美しいことこの上ないのだが、

こんな邪悪な色彩    ずっと見てたら心まで乗っ取られてしまうわ

東方茨歌仙』第28話より

これらがこのようなものであることを踏まえた上で、なお屈託無い笑顔を浮かべる勇儀姐さんの力強さにもう私は…私は…

 

    “鬼の殆どは元人間”という公式設定があるが、彼ら彼女らは皆こうやって鬼になっていったのであろうか。蓋然性の低くはないような。だとすれば鬼たちが皆決して嘘をつかないのも分かる気がする。意志の強い人(妖)はかっこいいね本当に。

 

 

5.ミノキチグリーフシンドローム

    異類婚姻譚の王道であり、見るなのタブーを犯すテンプレもしっかり辿っているのが「雪女」。ミノキチは雪女と結婚した男の名であり、グリーフとは喪失体験に伴う様々な感情(悲嘆だけではなく愛惜も含めて)の事を指す。

 

    ミノキチと雪女は数ある異類婚姻譚の中でも、かなり長い時間幸せな生活を送る。伝承ごとによって多少の差異はあるが、大体20年近くも。しかも沢山の子も成すのだ。二人の間にはさぞかし強い絆が結ばれていたのだろうなと想像できる。しかし物語はそのまま終わってはくれず、ミノキチの本当に、本っ当に何気なく悪気もないような一言で幸せな時間は終わりを告げるのだ。

    異類婚姻譚というテーマが発表されてから割とたくさん話を読み漁ったのだが、結局メジャーなこの話が一番物語感があって感情移入できた。ミノキチの父親を殺している雪女はどういう気持ちでミノキチと暮らしていたんだろうかとか、残された子供たちはその後どうなったんだろうかとか。子供向けの童話などと侮るべからず、考えてみると結構しんどい。

 

    はてさて、そんな雪女ことレティさん。彼女は名前の元ネタがくろまく〜なこともあって特別良い印象を抱いてはいなかったのだが、雪女のお話を思い浮かべながら「ミノキチグリーフシンドローム」を聞いていたら、あなたも大変だったんですね…と和解できました、はい。お前は一体どこから目線で話をしているんだ案件。

 

 

6.meaning of life

    RDさん曰く“最も幸せ”な曲。これは確かに幸せですね間違いない。

    クロスフェードを聞いた時点で、「何もかもわたしに任せればいい」「この両手に抱かれてゆくことの喜び」という歌詞だったり、蜘蛛の雌が雄を食べる習性から、こういう曲になるんだろうなとは思っていたんだよね。でもそこにもう一捻り加えてくるんだから敵わないなと。アイドルだもんな…。

 

    “カニバリズムは究極の愛の形”だとする考え方に出会ったことがあるだろうか?  メリーバッドエンド好きな人であれば一度はそういう結末の創作物に触れているのではと思う。んなこたないわって人は「秘封祭」をやろう。そういうエンディングがある(ごく一部ネタバレ)。

    実際に愛故のカニバリズムは行われた記録があるのか確認するべく、調べてみたのだが見つからず。親族たちがその魂を受け継ぐべく身内を食べる等の例はあったのでそれに準じたものがあるかもしれないが、明文化されてはいなかった。基本的に人間同士ではカニバリズムを通して絶対愛を証明するというのは蓋然性が低い行為だと考えていいだろう。

    それでは人と妖であれば?  それも相手は土蜘蛛で地底のアイドル。恋の病ですら発症させてしまいそうな彼女ならば十分ありえそうな話ではないだろうか。歌詞を見るに人間側からの一方通行の恋という感じではあるが、ヤマメちゃんはそれを受け入れてあげたので婚約成立だ。究極の愛の形は成ったのである。めでたしめでたし。

 

    この曲はまだまだ解釈の途中。表題にもあるように“誕生れた意味”が重要なテーマだと思っているのだが、まだそこに十分な意味づけが出来てないのでそのうち。

 

    ちなみに再生時間5分切りという凋叶棕にしては珍しい短いvocal曲だったりする。これより短いvocal曲といえば「(I’m gonna eat you up!)」くらいなもので、私の中では“再生時間が短い=人が食われる”という安直な方程式が出来上がりつつある。

    もひとつ言うと、女郎蜘蛛は相手を食べる時頭からパクっといっちゃうことが多いみたいだ。

 

 

7.モノガタリの裏側

    小泉八雲という人物を知っているだろうか。彼はギリシャ生まれの小説家件日本民俗学者であり、怪談や霊などを扱った著書を残した。とある東京帝国大学名誉教師曰く「幻想の日本を描き、最後は日本に幻滅した」男だ。

    名前の時点で察する事ができるが、彼は八雲紫の元ネタの1人である。以前神主がトークショーにてメリーと紫の関係性について問われた際、ラフカディオ・ハーンが改名して小泉八雲となったことを挙げた。

 

    元ネタも幻想を描く語り部だった紫のインストがこの曲。それも他曲とは一線を画した、物語を“創り上げる”側の存在の曲である。幻想郷のシェヘラザードたる彼女の存在が提示されていることによって、あくまでこのアルバムは異類婚姻“譚”であることが意識させられる。娶で語られる物語は何処までが口承で、何処からが創作物なのだろうか……

 

 

8.[SiO2]の瞳 

    最も“頭おかしい”曲。ついにrebellionの続きが来たか‼︎ と思ったらこれだよ地獄かな?    サビメロが最高に好きなのでヘビロテしているのだけど、一回聴き終えるたびに嗚咽を漏らす羽目になっている。

 

    この曲については解釈できるところがいくつか。まず数列で表記された“あなた”について。単純に訳すだけであれば、二進数に合わせてデコードするだけなので簡単。

[1001101 1100001 1110010 1101001 1100010 1100101 1101100 0100000 1001000 1100101 1100001 1110010 1101110]=[Maribel Hearn]

    “あなた”ではなく“Maribel Hearn”ですらなく、このような二進数で表記されていること。これはまさにメリーが人工物であることの証左だろう。蓮子が理系人間であることを踏まえれば納得のいく話だ。

 

    次に“ガラス”ではなく[SiO2]であることの理由。SiO2、二酸化ケイ素の結晶といえばガラスのほかに水晶がある。これの石言葉が“神秘的”なのだ。掛詞的な感覚で捉えることができる。

 

    そして最後、

誰のものより綺麗よ、メリー。

 

誰よりも綺麗よ、メリー・・・

『[SiO2]の瞳』より

の歌詞のところ。この曲は他と違って、蓮子自身が口にして歌っている曲になっている。歌詞がそのまま蓮子の台詞だ。彼女はRDさんの言う“何でも言うことを聞いてくれるメリーチャン”に対して語りかけているわけであるが、私にはこれが自らに言い聞かせているようにしか聞こえなかったりする。

 

    “愛しい相手を形而上の存在にして永遠にする”という行為(殺したりだとか)はよく見かける。しかし蓮子は逆に“自らのそばから離れていって心の中にしか存在しない相手を、形而下に引き摺り下ろす”行為を行った。世界に絶対的指標を求める彼女からすれば“心の中”などという曖昧な世界での完全性は容認できなかったのだろうか。この辺りはもう少し考えたい。

 

    確定的なのは凋叶棕で描かれる秘封倶楽部の物語に、余りにも絶望的な一つのルート、エンディングがもたらされてしまったことだ。やはり凋叶棕はレイマリと秘封を生贄にアリスを崇める邪教……。

 

 

9.T/A/B/O/O

 最も”軽率”なこの曲。Twitterで散々軽率という言葉が繰り返されていたことや、代表的な山姥との異類婚姻譚である「食わず女房」の男があまりにもアホなことから、ソメヤ並みに頭が悪い男キャラが爆誕するのだろうかと予想していた。しかしいざ蓋を開けてみるとなんだ、実に賢い男じゃないかと感心した。そう、この男は賢い判断をした。少なくとも幻想郷においては……

 

  さて、このタイミングで”見るなのタブー”についてしっかり触れておこう。

    見るなのタブーは、世界各地の神話や民話に見られるモチーフのひとつ。何かをしているところを「見てはいけない」とタブーが課せられていたにも拘らず、それを破ってしまったために悲劇が訪れる、あるいは、決して見てはいけないと言われた物を見てしまったために恐ろしい目に遭う、というパターンが一般的だ。例を挙げると、ギリシア神話パンドラの箱」、日本神話「神産みの段でのイザナミイザナギ」「トヨタマヒメ(豊姫の元ネタ)とホオリ」、民話「鶴の恩返し」「雪女」「見るなの座敷」etc......

  なぜこのようなモチーフが広く用いられているのかについては、民俗学におけるテーマの一つとして研究が続けられている。いくつか論文をあさってみたのだが、私的には

 このような多くの民俗事例を見るに、人々にとって、山中は、里とは異なる「異界」であると認識されることが多かったと言えよう。全く別の世界であると意識され、厳しく分けられていた人間界と自然界の間を、我々の祖先は行ったり来たりしながら生きてきたのであった。
 だからこそ、自分を助けた若者に会うために、「鶴女房」の鶴は人の姿に化けなければならなかったし、ひとたびその正体が明らかになったならば、できるだけ早くそこから立ち去らなければならなかったのである。かぐや姫も月の世界に帰り、雪女も男の許を去ってしまうのである。また、逆に異界を旅した「舌切り雀」の爺も浦島太郎も、結局は自分の世界に戻っていく。
 それに対して、人間の世界と自分の世界が深い「溝」によって隔たれていて、お互いの世界に深く関わってはいけないことに全く気づかなかった「猿聟入り」の猿は、その「鈍感さ」ゆえに殺されてしまったとは解釈できないであろうか。

異類婚姻譚に見る日本人の自然観について ―日本人は動物をどのように見てきたか―』
名 本 光 男

https://www.jiu.ac.jp/files/user/education/books/pdf/833-56.pdf

 この考え方が一番しっくり来た。

 まあ曲を解釈するうえでは見るなのタブーとはなんなのかさえ知っていれば大丈夫だろう。興味のある方は調べてみよう、古来からの人々の価値観が色濃く描写されていて実に興味深い。

 

 さてそんな見るなのタブーであるが、この男、破ろうと思えばがっつり破れる状態にある。障子に歪な影が移っていること、夜な夜な包丁を研ぐ音にどう考えても気づいている。戸を開いてしまえばそのまま「食わず女房」ルート一直線である。

 しかしこの男はそうしない。幸せの秘訣と称して疑わない。恐れない。見ない。知らない。訊かない。探らない。理解らない。彼はその一歩を踏み出したが最後、愛する花嫁と共にはいられなくなることを分かっているのだ。

 

 幻想郷において、”知ってしまう”が故に起きた悲劇は数知れず。外の世界を知ってしまった易者が頭を割られたように。好奇心が強い少年がはじめに首を切られたように。霖之助も華仙に知らないほうが長生きできると忠告されていたり...... 凋叶棕楽曲であれば、見て来て知って渡って聞いて寄って理解って探ってしまった彼女が大切なものを知ってしまったように。永遠を揮う二色蝶の美しさを知ってしまったがためにその身を堕とした男のように。命という言葉を知ってしまったシノショウジョのように。

 

 そう、知らないものは知らないままに、わからないものはわからないままにしておくのが、幸せでいるためには必要なのである。

皆知らぬそ知らぬ何知らぬ

 それでなお誰もが知っている きっと―――

「東方人妖小町」より

  話は全てここに帰結する。こうした人と妖の関係の上に夢の国は成り立っているのである。本能的になのかは定かではないが、それを理解しているこの男は実に賢い。

 曲が好みなのもあって私の中での株は非常に高かったりする。しかしまあ彼の場合、一番の幸せの秘訣は……

  おあとがよろしいようで。

 

 

10.創られゆく歴史

    「モノガタリの裏側」同様、他とは一線を画す立ち位置の曲の一つ。これまで語られてきた物語、歴史を創る側の存在がここで提示されているわけだ。

    この2曲の存在によって、アルバム全体の解釈の幅が一気に広がるんだよね。言うなれば一つ上、メタ的なステージを考慮に入れて良いのだから。邪推するなら“『続かぬもの達が続かぬ道理の無く、人妖等の差別の存在しない蓋然性の低い世界観』を恣意的に作り上げたのが『東方』だ”なんてことも言えてしまう。

    この2曲をどう受け取るかによってこのアルバム全体の見方も変わってくるのではないかと。

 

 

11.蛙姫

  最も”怖い”この曲は明らかに他とは雰囲気が違う。それは花嫁の正体が唯一、妖ではないから。圧倒的な美しさと圧倒的な畏ろしさを同時に内包する神の血であるからだ。ここで描かれているのは早苗というより、諏訪子の血を引く一族の者たちと考えたほうが適切。あくまでその末裔として早苗の姿があるのみ。

 

 印象的なのはやはり燦月麗池照の歌詞と其不言不問不語の歌詞の対比だろう。燦たる月の照らす麗しき池をしてなお敵わない美しき緑の髪、玲瓏な眼は傍から見れば尊い。されど、誰も其れを言うことも問うことも語ることもしないが、その真の姿は蛙の姫であり内なるものはこの世の何よりも畏ろしいのである。

 

    少し異類婚姻譚における子供の話をしてみよう。子孫が残る伝承のものには、子孫にとって都合の良いもの(統治の根拠とする始祖伝説等)が多い。例を挙げるなら、綿月豊姫の元ネタであるトヨタマヒメと山幸彦の異類婚姻譚である「海幸山幸」では、トヨタマヒメの出産時に山幸彦が見るなのタブーを犯したがために2人は離れ離れになってしまう。そこで生まれた子の子孫が初代天皇である神武天皇とされているのだ。天皇は文字通り神の血を引いているのである。

    じゃあ早苗さん達はどうなんでしょうねっていう。異類婚姻譚のテンプレに当てはめれば解釈をこじつけられなくはない。

 

 まあこの曲は考察うんぬんというよりも、子をなし血を続かせていく彼女たちへの畏れを抱きながら、その在り方を受け止めるということ自体に意味があるように思える。言ってしまえば曲の完成度が非常に高くて、解釈の余地がほぼ残ってなくない…?というのが本音。

 

 

12.鳥よ

    最も“物語”な曲。「鶴女房」という異類婚姻譚にて、男が見るなのタブーを犯し離れ離れになった2人の、その先の物語だ。

    年老いた男の、回りくどい表現の何もない赤裸々な胸の内が表れた歌詞。なんて純粋で愛おしい感情なのだろうか。

 

    そして1番感動的だったの“傍にいられるように“というその為に、男が“空を翔んだ”ことだ。

    凋叶棕楽曲において“空を翔ぶ”というのは幻想の象徴でもある。

「ヤタガラスカイダイバー」自らと同じ光という幻想を求めた少女が空に飛び出していったように…

「スターシーカー」自分の物語を創るという幻想を求めた少女が空を見上げたように…

「パラレルスカイ」幻想をその身に塗れさせた少女が空に吹き上がったように…

  そして何より博麗の巫女にして幻想の象徴である霊夢の能力が「空を飛ぶ程度の能力」であるように…

  未だ見ぬ幻想を求めて空を翔ぶ、空に想いを馳せる、それはまさに「幻想浪漫綺行」

『凋叶棕アルバム“徒”より「ロストドリーム・ジェネレーションズ」』ーユトリーヌの東方同人備忘録

    誰かが空を翔ぶその時、そこには必ず美しき幻想が垣間見える。この男にとってのそれは、他でもない彼女だった。

 

    物語音楽っていいなと、1人しみじみと感慨に浸っていた。

 

 

13.東方人妖小町

 

    最も“東方”な曲。最初の方で『楽曲の意味を汲み取ろうと考えるまでも無く「言いたいことそのまま言ってるじゃん!」という曲が殆ど』と綴ったが、「東方人妖小町」がまさにそのパターン。言いたいこと全部歌詞に書いてある。

皆知らぬそ知らぬ何知らぬ

 それでなお誰もが知っている きっと―――

「東方人妖小町」より

結局のところ、アルバムの曲は全てここに帰結するのだから面白い。この曲に関しては少し触れる程度にしよう。

 

    私達の世界で言う「決してかなわぬ夢を抱く」が、幻想郷では「それが叶わぬ夢などなく」になる。

    「決して続かぬものなどはなく」は「それが続かぬ道理はなく」に。

    「決して分からぬものなどなく」は「それは分かるものなどでなく」に。

    「消して潰えぬものなどなく」は「それは潰えるものではなく」に。

    まさに「夢の国」だよね。本来ありえなかったもの達が、蓋然性の低い筈のもの達が、この世界から排他されてきたもの達が集う楽園は実に麗しく美しい。

 

    そんなあちらの世界からこちらの世界への、視聴者参加型凋叶棕。見開き左下の女の子、あなたは彼女を見てどう思ったであろうか。まさか「あぁ、ちっちゃい人間の女の子だな」なんて思ってはいないか?  さんざん誰知らぬそ知らぬ何知らぬと聞いてきたのに?

    彼女の名はチィ。「望」のジャケットや「童遊」、「申の二つ-『仲良し村の八人の仲間たち』-」等に姿を見せていた女の子だ。このこと自体に気づいた人は多いと思うが、そこからさらにもう一段階気づいて、……あれ? となったあなたはてぃあおクラスタ

    チィちゃんにはちょっとした設定がある。はなだひょう先生のブックレット絵が纏められた『綜纏 三怪奇』のデザインスケッチの項を見てみると……

 

チィ

   誰も本名を知らない

『綜纏 三怪奇』より

 

    ……分からないよ?私は知らない。知らぬそ知らぬ何知らぬ。果たして彼女はどちらなのか、気になっても戸を開けてはいけない。

 

 

 

 

    つらつらと雑感を綴ってきた。あくまで解釈の途中なので取り留めのない話題ばかりであったが、時間のできた時にしっかりとまとめ上げた考察をしたいと思う。まずは音楽として、純粋に心を揺さぶるものとして楽しもう。

 

 

 

“冬はアリス” ……アリスとはなんぞや

 

飛翔は幻想の象徴