ユトリーヌの東方同人備忘録

幻想をわすれえぬものにする為に…

凋叶棕合同「幻想物語寄稿集-金-」

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   どうも、ユトリーヌです。今回は凋叶棕楽曲によって幻想に誘われた作家の方々による三次創作合同小説第二弾「幻想物語寄稿集-金-」の備忘録を綴っていこうと思う。

 

   この小説、あくまで三次創作であるからして今までは凋叶棕が描く幻想に特にはまってしまった者だけが読むといったものだったのだが、c94新譜「逆」の出現によって全凋叶棕クラスタ必読の書と化した。この本を読んでいないと曲の解釈が困難であるのだ。それについても触れよう。

 

 前作「幻想物語寄稿集」の感想記事はこっち

 


 

 

 

 

 

 

 

   以下ネタバレ

 

 

 

 

 

 

 

タイトルについて

   最初にタイトルについて。凋叶棕の初ボーカル曲にして原点「幻想浪漫綺行」が意識されたものになっている。また前回に加えて「-金-」となっているのは魔理沙の髪や星々、鈴仙の眺める円なる月、針妙丸の“正義の味方”の源泉打ち出の小槌、プレイヤーたる私達のInsertされたCoin(s)等々、金色のシンボルが多く散りばめられた本だからなのではないかと。

 

 

「to boldly go」

原曲:スターシーカー

著:みずなみ  絵:水ノ依ぱぴ子

 

   悩まされていた“未術な魔法使いには読めない”仕掛けをアリスに助言された事がきっかけで、自信を失った魔理沙。自虐の言葉を口にする彼女に霊夢は「魔理沙らしさ」を説いて元気付ける。

   魔法の研究を始めて最初にノートに綴った言葉“Look at the sky. What a starry night.”  こんな言葉を思い出すのも隣に霊夢がいるからなのかもしれない。少しだけ二人で星を見上げて一息ついたのなら、また進んでいける。そんな気がした。

 

 

   凋叶棕のせいでレイマリに目覚めてしまった人々は少なくないという(私もその一人なのだが)。天才であり博麗の巫女であるが故に思考や行動が受動的な霊夢。確固たる夢を持ち、それに向かってどこまでも能動的に進み続ける魔理沙。正反対な二人だからこそ、互いに向ける思いは眩しく輝いていて…。

  スターシーカーにスターゲイザーのテイストを少し加えた、熱いレイマリだった。

 

 

「実録!人形の館  被害者の男が語るには・・・」

原曲:怪奇!人形の館  迷い込んだ男の運命は・・・

著:五十嵐月夜  絵:紗倉澪

 

   終電が危うくなり、森を突っ切って駅までショートカットを図ろうとしたサラリーマンの男。気づけば迷子、東京都内であるのにスマホは電波圏外で現在地もわからない。大雨の中歩き回っていると、現れたのは塔のくっついた洋風の建物。男は中に入って夜を越えようとするも、ドアが勝手に締まって閉じ込められてしまう。

   ケケケという笑い声、何もない所から落ちてきた人形、不気味なそれらを尻目に住人を探す男。寝室に辿り着くとそこには、ブロンドの髪をした等身大の美しい人形の姿。好奇心でそれに触れようとした途端、人形の群れに襲いかかられてしまう。玄関の開かない扉まで追い詰められた男は意識を落とす…

   という話をアリスの家にて本人に聞かされた魔理沙。ここが幻想郷である以上、彼女は男をどうにかしてやることはできなかった。男が知らない地名を口にした時点で、彼の命は命ではなかったのだから…。自分は人間、アリスは魔法使いである事を再認識した魔理沙は、人形となった男を後ろに博麗神社へと飛ぶ。人間同士親睦を深めておくために。

 

 

   この曲はインストであるにも関わらず、効果音や切迫した音楽でストーリーがありありと思い浮かぶ。こうやって文にして書き起こしてくれると、これからまた曲を聞いた時に更に鮮やかに情景が浮かぶのだろうなっていう。ただ男が恐れおののいているだけでなく“ああ、伝わりはしたのか……。”という違った感情が描写されているのはさすが五十嵐月夜さんと思った。

 

 

「眼差しは地に咲く華となり」

原曲:Cruel CRuEL

著:満足ひろpon  絵:夜な子

 

   月からの侵略について調査していたはずが、気がつけば一面の紅い華の海の中にいた鈴仙・優曇華院・イナバ。「弾幕ごっこ」では済まないかもしれないという緊張感の中歩き回る鈴仙。未だ月の仲間たちへの罪悪感を背負い続ける彼女に幻想少女たちは語りかけていく。

  自らの率いる小隊が記憶の通りに壊滅するのを目の当たりにした鈴仙を、昔の自分“レイセン”が追い詰めていく。額に銃を突きつけられて、これで裁いてもらえると安心感を覚えてしまった鈴仙レイセンは告げる。「命の意味を見つけ出せていない。そう、貴女は少し自分勝手すぎる」と。

      地上に逃げ延びてきたのもつかの間、落とし穴にはまってしまう鈴仙。穴の外から手を差し伸べながら因幡てゐは語りかける「他の誰でもないあんたが、自分の意思で明日を決めるんだ。私はただ、幸せを願うのみ」。その手を取った鈴仙蓬莱山輝夜は語る「ちょっと羨ましいのよ?私や永琳は過去を捨てちゃったから」

   彼女たちの声を受けて鈴仙は決意する、無かったことになんてしないと。そうしてスペル《審判「浄頗梨審判-レイセン-》を打ち破った鈴仙四季映姫・ヤマザナドゥは激励する。

   武装した玉兎に囲まれた鈴仙。彼女は相手を殺せない銃を手に「弾幕ごっこ」を始めるのだった。

 

 

   心情表現が見事。レイセンとの会話で滲み出る罪悪感を優曇華の華が生々しく象徴してくれている。「貴女を幸せにするために」を意識したてゐとの会話は非常に熱い。序盤の「ためらいなく撃て」の伏線を最後の弾幕ごっこシーンで回収していくのはテンションが上がった。

 

 

「いつかあなたと旅をするために、私がしなくてはいけないたったひとつの重要なこと」

原曲:ホンノタビビト

著:涼名  絵:沙倉澪

 

      大図書館の扉が音を立てて開く

 

   騒々しく図書館に入ってきた魔理沙に悪態を吐くパチュリー。話を変えようと魔理沙が本を手に取ったことから、2人の穏やかな語らいは始まる。

   基本の“魔道書” 『図書館と魔女』というタイトルの“童話” 虚偽を楽しむ“新聞紙” 笑顔の絶えない姉妹を描いたフラン作の“絵本” 淡々と綴られた“年代記” 信用の上に気付きあげられた“学術論文”  そして“料理書”。パチュリーが自ら淹れた紅茶は普通に美味しかった。

   たまには外に出ようと思わないのか?と言う魔理沙パチュリーは答える。「私は“旅”をしている。世界中の知識が集まるここで、世界の全てを体験しているのだ」と。そんな彼女に魔理沙「本の旅もいいけれど、実際に外に出ないと分からないことも沢山あるぜ! だから、今度は私と一緒に本当の“旅”をしよう!」 

   新しい旅の始まりは、貴方に差し出すこの紅茶と供にーーー

 

   魔理沙の立ち去った図書館の中で、パチュリーは先程の童話の続きを口にする。『図書館は“呪い”によって魔女を閉じ込め、その力を食べて“生きている”』だから、今は旅をすることは出来ない。

   大図書館は語りかけてくる、あの星の魔女を“次”にすればいいじゃないかと。パチュリーはその提案を払いのける。「私はね、あの子と二人で“旅”がしたいのよ」 どうせいつか“次”は現れると言い残して気配を消す方法がある大図書館。パチュリーは“知識”を持って“呪い”を打破ると、自らの名と太陽の魔女に誓うのだった…

 

      大図書館の扉が音を立てて閉じた

 

 

 

   前半の穏やかな時間。一つ一つの本を通じた会話に味がある。「薦」を聴いている者であれば、『図書館と魔女』の時点で察してしまったのではないだろうか。特に絵本と学術論文は二人の思いや信念を感じ取ることができて好きだ。

   後半、太陽の魔女ヴワルと月の魔女パチュリーの間にあった出来事は本当に気になるよね。「R.I.P.」を聞いてると、はなだひょう先生が本の形にしてくれるのが待ち遠しくなってしまう。いつの日か魔理沙パチュリーが外へ旅に出る事を願いたいと思う。

 

 

「名付けられた幻想」

原曲:she’s purity

著:浅木原忍  絵:夜な子

 

   “彼女”に名前をつけた者たちの辿った歴史が綴られていく。

   戦争で最愛の娘を亡くした人形師は世紀の傑作と言えるビスクドールを作り上げた。娘と同じく【リゼッテ】と名付けたその人形に、彼は一生愛を注ぎ続けた。

   革命の指導者の娘が斬殺されたその時、胸に抱かれていた“彼女”。植民地支配の象徴となった“彼女”は、【メイベル】として革命家たちの精神的支柱となった。

   心を奪われた商人に不幸をもたらしたのもつかの間、貴族の娘の妹【ドロシー】となった“彼女”。やがて人形遊びを卒業した娘は19歳の夏、毒物による中毒死体として森の中で発見されるのだった。

   内気な少女の初めての親友になった【メアリー】。それをきっかけに少女は生身の友達を増やしていく、少女が誘拐され遺体となって発見されるまで。犯人は服毒自殺を遂げ、少女の父に怒りをぶつけられた【メアリー】は首だけになった。

   ひとりの女性が“彼女”の頭部を見つけて恋に落ちる。女性は自ら身体を作り上げて頭部のつなぎ合わせ、人形を【アリス】と名付けた。強い恋心は“彼女”を“私”たらしめた。二人だけの王国。二人だけの砂鉄の国。私を抱いて鈴蘭畑へと向かった彼女は、やがて毒に埋もれて動かなくなった。

   名前を呼んでくれない彼女を前にして“私”は気づいた。名付けられた幻想は、どこまでも幻想でしかないのだと。  

   そうして“私”の体は動き出す。

 

 

   まさかshe’s purityを砂鉄の国のアリスと関連付けてくるとは思わなかった。このアイデアもそうだし、第三者視点で描かれた年代記風の文章は、ミステリー作家である浅木原忍さんならではといったところ。

   人形であるが故に、他人の“名前”というエゴを押し付けられ続けた彼女が抱いた感情。メタ的視点で言ってしまえば、幻想少女たちに勝手なイメージを描く私達読み手にだって、そんな感情が向けられているのかもしれない。

   蛇足だが、あとがきで笑いをこらえきれなかったよ。うん。

 

 

「早苗と紙芝居とロープウェイ」

原曲:アイ・リトル・ヒーロー

著者:はーしぇん  絵:松本文

 

   自身の経験をもとに作った浪曲『置き捨て小傘怨み節』の初お披露目の帰り、子供にそっぽを向かれた事にもやもやしている小傘。家に入るとそこには早苗がいた。事態に感づいた上に、もう子供に浪曲は通じない事を正論立てて突きつけて来た彼女は、小傘に紙芝居をやる事を提案する。

   ロープウェイで気軽に行ける様になった守矢神社で、子守りを兼ねて披露するとの事。内容まですでに作成済みで、小傘に断らせる気は無かったようだ。タイトルは『アイ・リトル・ヒーロー』  小さな町を守るヒーロー「サナエ」が怪人「コガーサ」から町を守る王道ストーリー。登場人物のモデルに文句はありながらも、早苗の語り口も相まって思わず拍手をしてしまう出来だった。

   六日後、徹夜で準備を終えた二人は子供達を集め始める。その中には眼鏡をかけた女子高生の姿も。期待が高まる中、二人は物語の扉を開くのだった。紙芝居の、はじまり、はじまり〜〜。

 

 

   わちき可愛いよわちき。私は正直紙芝居よりも浪曲を聴きに行きたいです。安定の早苗節もさすがといったところ。

   あとがきにて、はーしぇんさんの「置き捨て小傘怨み節」「At least one word」を“本人の過去というよりは脚色された物語みたい”という感想は面白いと思った。「置き捨て(ry」は浪曲用に作られたものだとして、「At least(ry」は何のために描かれたんだろうかと妄想が捗る。早苗の過去を脚色した物語なんて、読んで意味があるのは早苗本人だけだと思うんですけど(早苗さん、外の世界では友達少なかった説信者並感)

   そして最後に“彼女”が出てきた意味なんだけど、全く思いつきません助けてください()   

 

 

「夢のまた夢」

原曲:ドリーム・アフター・ドリーム

        ハロー、マイフレンド。

著:桶住人のmist  絵:渡瀬玲

 

   新聞部を退部するために、振倉文(ふりくら あや)と新刊を捌けた部数で勝負する事になった姫野はた(ひめの はた)。 一面ネタを探す彼女は友達の多そうなクラスメイト、霧雨リサに取材を試みるも一蹴されてしまう。交渉の余地もなし。そこではたは放課後、リサを尾ける事にした。しかし毎日渋谷駅で降りるリサ人混みに紛れていなくなったり視線を外した一瞬で姿を消したり…

   五日目。学校でリサに尾行がバレてしまうも、なんとか話を聞ける約束を取り付けるはた。その日の放課後、渋谷のスクランブル交差点を上から覗ける喫茶店でリサは話し始めるのだった。

   学校で話す友達とはどこか打ち解けられない様な気がして、放課後一人で渋谷を散策するのを楽しんでいた。めぼしいところを周り尽くしてしまってからは“遠い場所に行ってみたい”と思っていた。ある日ふと空を見上げると、紅白の服を着た巫女みたいな少女が視界に映ったのだ。その日から私は一人じゃなくなった。彼女と一緒に飛んで、駆けて、遊んで…。そんな夢を見ている間、彼女は私の友達なのだと。

   あまりにも突飛な話を、正直信じられないはた。しかし見下ろした車の行き交う交差点に、白い傘に紫色のワンピースを着た金髪の女性が佇んでいるのを見てしまった彼女は、話を笑い飛ばすこともできないと思ったのだった。

   締め切り当日。目が覚めて原稿を読み返すと中身が丸っきり変わっていて、そこにリサの話の内容は入っていなかった。そのまま領布会に新聞を持って行くも捌けた部数は上々。文に新聞部を辞めないことを伝えたはたはリサに声をかけられる。

   私の話をなんで書かなかったんだ?と問う彼女にはたは答えるのだった。「あなたの世界(ゆめ)はあなたのもの、でしょう?」 リサは一言、そっかと笑顔で返してくれた。

 

 

   要約が長くなってしまったこの話。それもそのはず、短い文章の中にいくつもの印象的な描写が組み込まれているのだ。一瞬でハチ公前から姿を消したリサ、リサが見かけた紅白の巫女、はたの目にだけ映った妖しい女性の姿、そして消え去った文章。前作で「幻想の旅人」を書いた桶住人のmistさんの、想像力を刺激させる文体は健在といったところだろうか。

   タイトル的には、幻想少女の見る夢の世界での話なのかなって思う。その中で起きる夢紛いの出来事達を描いた“夢のまた夢”?  でも「喩」自体が霧島リサの夢の話… ん?こんがらがってきたぞ?

   この話もそのうち色々考えて解釈を綴りたい。読んでいる間、私もトモダチと呼ばせて頂きました。

 

 

「正義の味方」

原曲:輝針「セイギノミカタ」

著:とものは  絵:とってつき 

 

   問題の作品。c94新譜「逆」に逆輸入されている。そちらの考察記事で詳しく紹介してるので、ここでは省略。web検索に引っかからない“とものは” “とってつき ”両先生の正体にも言及している。

 

 

 

「刻まれた物語」

原曲:ハロー!フォゴットン・ワールド

        忘れえぬ物語

著:みの  絵:水ノ依ぱぴ子

 

   高らかに叫ぶ声が聞こえた。空を見上げるとそこに浮かんでいたのは、七色の水滴を撒き散らす、傘を持った少女の姿。それがあの時の巫女の無慈悲で過激な舞に重なって見えたボクは確信した。捨て去ったはずの、嘘つきの楽園に戻ってきてしまったのだと。化傘であるという彼女をうまいこと言いくるめ、ボクは森の洋館まで案内してもらうことにした。

   大雨の中、相合傘をして歩く二人。化傘はまるで惚れ薬を使われたような顔で、火に焦がされているような赤い目をして囁く。あなたとは初めてあった気がしない、貴方に傘として使われて嬉しいのだと。“大人の味は油断大敵”と警戒を強めたボクに、化傘はあっけらかんと冗談だと言う。不快でしょうがないのに、ボクは傘を手放すことが出来ないでいる。

   自分の生い立ちを語り始めた化傘。千里も続く恋路の果てに、忘れ去られてしまったという事実を知った彼女。怨恨を抱いてたどり着いた場所(はかば)こそが忘れ物の楽園(Forgotten World)、幻想郷だった。ここで生きたものは皆記録され、記憶され、絶対に残り続ける楽園なのだと。 勢いを増す雨の中、たどり着いたのはかつて正直者達が住みかとしていた洋館だった。

   館に上がったボクに化傘は言う。「捨てられた雨傘と捨てられた洋館、忘れ物同士分かるものは分かる。お帰りなさいって、この館が言ってるわ」  逃げなければ、そう直感した。窓から飛び出して出た場所、そこは七つの墓標が並ぶ庭。追いついてきた化傘は日に焦がされた赤い目をしていた。それは捨てることを決して許さない目、捨てたものを決して忘れない目、見つめ返して欲しくなかった、そんな目だった。

   手拍子が聞こえる。ボクの意思とは裏腹に、朝はそちらへ向かう。楽園がボクを連れ戻しにきたのだと気づいた。

   呼び声が聞こえる。ボクの瞳に刻まれた光景を消し切るには、この幻想郷は美しすぎた。

   拍手が聞こえる。ボクを歓迎しているような暖かいリズム。それを嘘だと悪態づくも、全ては無意味。七色に染まった手に抱かれたボクの耳に鐘の音が響く。最後に聞こえたのは初めて囁き声だった。「おかえり、楽園へ!(Hello! Forgotten world.)」

   最も美しいボクが最も美しくあるためには、最も美しい楽園にはいられなかった。両方がそうあり続けるためには“ひとつになる”しかなかった。そうして全部、元通りになった。

 

   レコードが止まり、稗田は思索を止める。その少女を稗田は知っていた。悪夢であろうと、呪われた歴史であろうと、幻想郷は全てを記憶する。再びこの地を踏んだ彼女の、素晴らしい新たな生に想いを馳せる。少女へ祝福を込めて、幻想郷の記憶は呟くのだった。「おかえり、幻想郷へ」

 

 

   要約が長いぃ、カットできる場所が一つもない密度の高い物語だ。楽園に連れ戻されてしまったボク、捨てられたものたちの代弁者たる小傘、世界の記憶である阿求、そして残酷なほどに美しい幻想郷自身。 皆が皆超常的というか、神話的なものを感じる。

   私の全凋叶棕曲の中での1.2を争う好きな歌詞が「somewhat trustworthy」の『ああなぜなら 美しいから』だったりする。この幻想郷の圧倒的な美しさがそこで起こる全ての事象の結論となってしまう、云うなればデウスエクスマキナのような絶対性がとても好きなのだ。だからこそ“最も美しいボク”でいられなかった彼女にも底知れない魅力を感じるし、“ひとつになった”彼女を少し羨ましいとも感じてしまう。

 

 

「コインの行方 〜Whereabouts of coin(s)」

原曲:Insert Coin(s)

著:卯月秋千  絵:松本文

 

   短い思い出話を、許して欲しい。

 

   さあ、その手を此処へ。Insert Coin(s)

 

 

   私が要約して書き記すべきではないのだろう。これは私自身の歩んできた道ではないから。そして綴られているのは幻想郷という世界で描かれる“物語”ではなく、“思い出”、“祈り”であるから。

   たった11ページ、そこにこれだけの思いを詰められるのかと驚くばかりだ。この作品に関しては、読んだプレイヤー一人一人が感じたものに私の駄文で干渉してしまうことのないようにするべきだと思うから、あまり多くは語らないようにする。

   ただ私も鈴の音を繋ぎたいと、そう感じたとだけ書き記しておきたい。

 

 

 

 

 

 以上10作品、凋叶棕、延いては東方Projectへの深い愛が詰まった合同だった。読み終えての初感を綴ってきたが、まだまだ読み足りないというのが正直なところ。個人的には「いつかあなたと旅をするためにry)」「刻まれた物語」「コインの行方 ~ry)」がお気に入り。だが「夢のまた夢」をはじめ、ほかの作品でももっと妄想を広げたいと思う。

 また、はーしぇんさんによる原曲紹介の欄も非常に面白い。「she's pretty」の知っている人はニヤリと出来るネタなんてのにもまだ至れてないので、いろいろ調べないと。「ハロー、マイフレンド。」の紹介文大好き。

 

 

 「幻想物語寄稿集-金-」主催のはーしぇんさんをはじめ、制作にかかわったクリエイターの方々、凋叶棕主宰のRDさん、そして幻想の生みの親ZUNさんへの感謝をもって備忘録を締めたいと思う。ありがとうございました。

 

 

p.s  タイトルの「-金-」の部分、読了してブックカバーを外すまで”きん”って読むんだと思ってました恥ずい。

凋叶棕「逆」 考察

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  どうも、ユトリーヌです。いやぁ、凋叶棕はやはり最高に頭おかしいね‼︎「夏コミ新刊、6月8日発売‼︎」これを頭おかしいと呼ばずしてなんと… いや、“天邪鬼”と呼べば良いのか…  私はRDさんの速報を発売1時間前に確認して速攻でメロブに向かい、6時ぴったりに1秒の狂いもなく購入したので、製作陣以外では世界一早く入手したと自負しておりまする。私の推しCPは秘封、レイマリ、正針という事もあって、ようやく凋叶棕に正針メインアルバムが出てくれたか‼︎と嬉しい限り。また今回は音楽として非常に好みだった為に、入手して2日程度は頭を空っぽにしてヘビロテし続けていたという。

   長々と自分語りしてしまった…私のことはどうだっていいんだ、とっとと内容を綴っていこう。今回の考察で本腰が入っているのは正邪と針妙丸のところなので、ブックレットの話だけ見たらそこまで飛ばしちゃっても良いと思う。

 

  

 

 

 

  以下ネタバレ注意。

 

1.ブックレットについて

   さて、曲を聴き始めて最初にはてなマークが浮かんだ部分はブックレットであろう。「Uprising Ideologyは何処に…?」さすが凋叶棕、いきなりギミックを仕掛けてきやがる。

   「逆」のテーマはなんだったか考えてみよう。そう、ブックレットを真の姿にするには“ひっくり返す”必要があるのだ。正邪曲が外側、異聞「正義の味方」が内側に来るように折り返す。そうすることで正しい順に曲を辿っていくことができるだろう。

   ちなみに「逆」の特設サイトも大きなヒントになっている。outsideは正邪2曲、insideがその他の曲。何言ってんのかわからない人は、URLを見てみよう。個人的に、訓練された凋叶棕クラスタへの第一歩がこれだと思う。

   そして凋叶棕が何かを仕掛けて来る時、必ずそこには意味がある。何故ブックレットは最初偽りの姿だったのか、それも後に考察する。

 

   こんなところまで「逆」だったり。

 

 

2.メイン以外の小考察

   メインである正針曲は一旦置いておいて、その他の曲を聴いていこう。

 

2.ノーモア、エニモア?モアーモア?!

   逆転しているのは“霊夢の性格と強さ”  

   今回の可愛い枠。潜在的マゾ霊夢可愛すぎない?

   特に考察するところはないと思うんだが、強いて言うならこの幻想郷がどうやって秩序を保ってるのかくらいなもの…  うん、それはもはや妄想の域だ。やめよう。

 

3.ヘクセン・タンツは斯くの如くに

   原曲の「魔女達の舞踏会〜Magus」は西方project第一弾「秋霜玉」のEXステージ一面ボス、紅夢の魔法使い“霧雨魔理沙”のテーマ曲だ。後にアレンジ版が萃夢想や妖精大戦争(こちらは全然別物となったみたいだが)で使用されている。

   東方でなくあえて西方を持ってくる、また弱体化した霊夢曲の後に魔理沙曲を持ってくるあたり、“逆転”というテーマに沿っているのではないだろうか。

 

4.至天

  逆転しているのは“摩多羅隠岐奈が二童子を選定する”ということ。

   圧倒的プロパガンダ曲。捧げる物が何一つなくなるまでその身を朽ち果てさせられた人間のみが神座に至ることが出来る。大丈夫、人間は脆いから私たちが生命力と精神力を高め続けてあげるよ。止まることなく志高くい続けてね♩っていう。

   この曲の何が凄いかって、最初の一歩はただ至天したいという意志を持つだけっていう所なんだよ。誰でも簡単に出来ちゃうってのがプロパガンダとして完璧。まあ一度望んだが最後、天に至るか屍の山の一部になるかのどちらか何だけどね。

 

5.Revoke

   Revokeは(命令を)無効にする、取り消すという意味。摩多羅神が選定される側になった上でこの曲名なんだから、前曲の逆転の補強になっているのだと考えられる。曲自体から何か推察は出来てないので、純粋に音楽として楽しもう。

※2018/08/18追記

 

 

 

 単語一つでこんなに解釈が広がる。

 

 

7.交響詩「魔帝」より Ⅱ.  神話幻想

   徒の交響詩「魔帝」の続編がここに来て描かれる。いや曲順的には続きというよりかは前日譚なんだけども。

   原曲「神話幻想 〜Infinite Being」は神綺のテーマ曲。これで魔帝が誰を指すのかはわかったね。この曲自体からは何が逆転しているのかは分からない。が、Ⅲが戴冠式であり、その原曲がアリスのテーマなら、帝の座がアリスの手に渡った、立場の逆転と考えることが出来そうな。

 

8.アノインシスター

   逆転しているのは“こいしがさとりにとってのアノインシスター”だという事。

   アノインが敢えてカタカナ表記であるからには、2つ以上の意味があるはず。私は“Annoying”しか思い浮かばなかったのだが、

 

とも考えられるみたいだ。成る程…

   この曲も深く考えるよりこいしを愛でれば良いと思う。わけわかんない!

 

9.Enslaved 

   逆転しているのは“霍青娥宮古芳香を使役している”ということ。

   他の曲の流れと曲名からの考えだ。曲自体も青娥を思わせる優雅な曲調と芳香を思わせる激しい曲調が入り乱れたものになっている。まあ何度も言うようだが、基本的にインスト曲は素直に音楽として聞けば良いと思う。「遙」の「あの日ry)」とかは別だけど。

 

10.語九十九節

   逆転しているのは“自ら音を発して演奏できる程度の能力

   「私を鳴らして」なんてのはまさに能力の否定だろう。逆転しているのはここだ。これも考察することなし、音楽として楽しめ。

   九十九姉妹鳴らさなきゃ(発作)  さあじゃんじゃかべんべけべんべけどんどかどんどかどんどんと

 

 

   どの曲も“逆転”というテーマに沿った攻撃的な曲ばかり。個人的お気に入りは「至天」、めらみぽっぷさんとnayutaさん喉壊さない?大丈夫?

 

 

 

3.少名針妙丸の正義 「異聞「正義の味方」

   さて、それではいよいよメインテーマである正邪と針妙丸の物語について触れていこう。

 

   まず考察するにあたって大前提となるのが「幻想物語寄稿集-金-」を読んでいる事だ。この本は凋叶棕の産み出す幻想に誘われてしまった作家達の描く物語が詰まった、三次創作合同である。その中の一つ「正義の味方」がこのアルバムに大いに関わってくるのである。

   気づかなかった者もいるのではないかと思うが、「逆」には新たに2人の方が製作に関わっている。「異聞「正義の味方」」の作詞作曲担当の“とものは”さん、ジャケット絵担当の“とってつき ”さんだ。この2人が幻想物語寄稿集-金-にて寄稿した作品こそ「正義の味方」なのである。

 

   もちろん本物を手にとって読んでいただきたいのは山々なのだが、考察する上でこの物語への言及は不可避なので概要を説明してしまいたいと思う。

 

   永遠の三日天下も過ぎ去り、身を隠していた正邪。彼女が思い出せない自らの過去について考えていると、針妙丸が現れて「あんたに感謝したい」と言い出す。何事かと聞き直すと針妙丸は語り始めるのだ、“正邪は小槌が生み出した生命である”という真実を。

   虐げられていた小人族が再び民を支配するためには、注目を集めなければならなかった。そのために必要な『ともに手を携える者』を小槌に願った。仲間であり、共犯者であり、そして手下であるそいつは小人族の望み通りに動く。そいつは幻想郷を引っ掻きまわす事を提案し、小人族はまんまと乗せられてやる。そうして異変は大成功し、一族の礎は気づかれた。正邪は針妙丸にとっての『正義の味方』であったのだと。

   それらを否定しようと正邪は針妙丸に襲いかかるが、体から力が抜けてしまう。針妙丸の『仲間』で『味方』である正邪は彼女を『遊び』以上に傷つけられないようになっていたのだった。それは針妙丸の言うことが真実である事の何よりの証拠。そして針妙丸は告げる、使い終わった道具は“回収”されなければならないと。

「大嫌い(だいすき)だ。お前なんか、大嫌い(だいすき)だ! この、賤しい小人めが‼︎」「あははは。嬉しいよ。そんなことを言ってくれるなんて。やっぱり持つべきものは下僕(なかま)ってところだね」「じゃあね。我らが正義の味方さん。楽しかったよ」

   針妙丸は小槌を振りかぶり、天邪鬼は人前から、記憶から、消えていったのであった……

 

   なんだこの針妙丸⁉︎屑すぎやしないか⁉︎  いやいや、彼女にとっては小人族の繁栄こそが“正義”。その下に行われる全ては正しいことであるのだから仕方ない。哀れなり正邪よ…

 

 

   これを受けて「異聞「正義の味方」」を聞けば解釈は容易であろう。針妙丸の針から伸びる糸の絡みつく正邪。操り人形たる彼女に幻想郷の住人たちの悪意のスポットライトはあたり続けるのだ。「その存在 その身の限り 道具として 全てを尽くせ」 この曲で“逆転”していたのは“正邪が神妙丸を利用したという事実”である。針妙丸にとって、正邪は紛れもない「正義の味方」だった。

 

 

4.鬼人正邪の正義「Uprising Ideology」「Downfalling Ideology」

   正邪と針妙丸の間に何が起こったのか、それを理解したところで少し話を別のところに持っていきたいと思う。ここからは“魔理沙世界一愛してるさん”(Lobiの凋叶棕グルにいる人なら即座に誰かわかると思われ)の考察を大いに参考にさせてもらっていることを付して記しておこう。

 

   さて、凋叶棕アルバムにおいて共通する法則の一つに「CD中心の穴が物語の入り口である、重要な意味を持つ」というものがある。「夢」では、ドレミーの夢魂に触れて幻想少女達の夢の中に入り込んで行くように。「奉」の物語が、コインを手にするところから始まるように。「屠」にてジャケ子を殺す様が示唆されているように。「謡」では阿求の部屋に入っていくように。

   それでは「逆」のCDレーベルを見てみよう。描かれているのは正邪の象徴の一つであるスカート、CD自体が正邪を表現している。その中心が重要な意味を持つというのであれば…

   ここから分かる事、それは“正邪の中心、本質、内側”が描かれているということだ。

 

   また前述したように、ブックレットはひっくり返す事によって正しい姿となる。ならば何故はじめはあのような姿になっていたのだろうか。すぐに思い浮かぶ事として“テーマが逆転だから”、“Uprising IdeologyとDownfalling Ideologyの歌詞の対比の強調”がある。

   しかしこうも考えられないだろうか。仮の姿では内側に配置されている正邪曲、ここを最初に開くのだ。つまり“聞き手は最初に正邪の内側に飛び込んでいく”という構図が完成するのではないだろうかと。ここからも“正邪の内側、本質”が描かれていることが読み取れる。

 

   

   これを踏まえて聞いてみようじゃないか。「Uprising Ideology」「Downfalling Ideology」にて描かれる天邪鬼の本音、本質を…。

 

 真実を知らない天邪鬼は、小人族に革命を呼び掛ける。

「お前の生とは そこだけに 縛られつづけているものなのか!」

「これがお前の生きる ありのままの世界の姿なのか!?」

「祈りも願いにも縋るなく それがお前の正義だ!」

「さあ!世界を!ひっくり返せ!!」

 

 真実を知った天邪鬼は、小人の姫に問い掛ける。呼び掛ける。

「何もかもを、恐れなかった、お前は何処へ行った?」

「何もかもこのままで お前の明日はどこにある?!」

「お前の物語を進め それがお前の正義だ!」

 「―――さあ、世界を、ひっくり返せ。」

 

 

 虐げられた小人族と共に、世界をひっくり返そうとした。

 自らを道具として扱い、安寧の為に本当の正義を捨てた針妙丸の、現状をひっくり返そうとした。

 何も知らなかったあの時をーー勇気に満ち溢れながら”冒険”をしていたあの時をーー忘れてしまった針妙丸自身をひっくり返そうとした。

  そして自らの物語がこれで終わるというのにも関わらず、針妙丸がこれから歩むはずだったつまらない物語をひっくり返そうとした。

 そう、天邪鬼の本質はどこまで行っても変わらない。「ひっくり返す」それが正邪の正義だ

 

 消えかかるその瞬間まで、苦しそうな、しかしどこか笑みを含んだような声でかけ続けた言葉「ーーーさあ、世界を、ひっくり返せ」。正邪は最後の最後まで、針妙丸の「正義の味方」であろうとした。

 

 

 はたしてその正義は針妙丸を動かしえたのか、それは明言されない。でも私は信じたいのだ。

 

「目を瞑るな!耳をふさぐな!」

「          」

「何も知らなかったあの頃に 戻れない? 戻りたい?!」

「          」

「なら 捨ててしまえ! 壊してしまえ!」

「          」

「お前がいるべき場所はここではないのだ」

 

 これが正邪の一方的な呼びかけでなく、針妙丸との会話によってなされた言葉だということを。一人の天邪鬼が抱き続けた本物の正義は、一人の小人のセイギを打ち砕いたのだと。正邪は針妙丸の正義の味方足りえたのだと...

 

 

 

5.”とものは”さん、”とってつき”さんの謎

   「逆」における物語の考察は以上の通り。しかしもう一つ考えるべき事を忘れていないだろうか。今回製作に関わった“とものは”“とってつき”両先生とは何者なのかである。

   この2人、サークル主でないどころか、Twitterアカウント、pixivアカウントも無い。Google検索にも「逆」と幻想物語寄稿集-金-以外で引っかからない。本当に謎の人物なのだ。しかし2人の正体を想像することはできる。

 

   まずとものは先生。「異聞「正義の味方」」にて、作詞だけでなく作曲まで担当されている。アルバムのメイン曲をRDさん以外が作るか? それでもっていつものRDさんにあれだけ近い曲調になるか? そもそも「薦」みたく三次創作だと明言もせずに、他の方のストーリーを取り入れるか…?

   そこで考えてみるのは“とものは”という名前。RDさんのツイッターID等、代名詞となっているwithleafと比較してみよう。とものは…withleaf…  これ以上は野暮というものだろう。

 

   次にとってつき先生。ジャケット絵を担当されている。絵描きさんならpixivアカウントくらいあっても良いものな気がするが…。

   ここで凋叶棕ブックレット絵でおなじみ、はなだひょう先生が「逆」発売直後にしたツイートを見てみよう。

 

   あっ……

 

   以上のことはあくまで想像に過ぎない。とものは先生ととってつき先生が本当に存在するなら、非常に失礼な考察であるので先に謝罪しておきたい。すいません。しかし私にはこのようにしか考えられないのだ…。真相は当人たちのみぞ知る。

 

   

   凋叶棕「逆」。夏コミ開催日への逆転から始まり、何から何までひっくり返しまくった素晴らしい作品だった。こんな頭おかしいことをされちゃあ、RDさんにこれからもついていくしか無くなるよね。これからも無茶苦茶やってほしいと思う。大歓迎。

 

   気になるのは夏コミに何をするのかということである。缶バッチ配布以外にあるとしたら、Feuille-Morteとしての活動だろうか。それに最近は多くの同人誌のイメソンを担当されているのでそちらに力を入れるのかもしれない。いずれにせよ楽しみである。

 

   いつも美しい幻想を見せてくださるRDさんをはじめ「逆」製作に関わった方々。そして東方projectの生みの親ZUNさんへの感謝を持って筆を置きたいと思う。本当にありがとうございました。

 

 

   さて、私は至天しなきゃいけないんだ。ちょっと後戸潜ってくる。

 

 

 

     RDさんもう一つの夏コミ新譜

 

 

 

凋叶棕「逆」 感想(逆ver)

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  どうも、ユトリーヌです。いやぁ、凋叶棕はやはり最高に頭おかしいね‼︎「夏コミ新刊、6月8日発売‼︎」これを頭おかしいと呼ばずしてなんと… いや、“天邪鬼”と呼べば良いのか…  私はRDさんの速報を発売1時間前に確認して速攻でメロブに向かい、6時ぴったりに1秒の狂いもなく購入したので、製作陣以外では世界一早く入手したと自負しておりまする。

 

 さて、今回の新譜名は「逆」。  RDさんがもう夏コミお疲れ様でしたツイートをしてるのに習って、私も聴く前に中身を勝手に予想しながらレビューしようと思う(ガンギマリ)。私が目にしたのはまだ帯の裏だけだ、その状態で書く。よってここから先は天邪鬼がほざく、嘘にまみれたレビューとなるので勘違いされないように。

 

ちゃんとした考察はこっち。こんなくだらない妄想見てないでこっちを見てお願い。

 

 

 

 

 

 

 

特設サイトについて

 

 最初に確認するのは当然ここ。「逆転」をテーマに展開される 攻撃的/哀れ な物語!」とのこと。間に空白があるのは…ってのはさすがに考えすぎだと思いたいが、「祀」の「象徴、そして 」を見てしまうと何かあるかもと疑ってしまう病気。

   最初、Illustration はなだひょう先生じゃないの?と思ったけど、その後気づいてあっ、、ってなる。

 また、凋叶棕といえばお約束の特設サイトネタがあるね。「逆」を名乗って裏ページが無いわけがないと捜索した。このアルバムによって描かれる逆転劇の構造の根幹がまさかここで明示されるとはね。

 そう、主犯である天邪鬼”鬼人正邪”は同時に、観測者として物語のoutsideに存在する。いや、しようとするのだ。

  

Downfalling Ideology

  なぜトラック11から書き始めたのか、騙を見てきた皆ならわかるよね?そういうことだ。

    疾走感あふれる曲調。当たり前だろう、私たちはいま真っ逆さまに暗闇の中を落ちて行ってるのだから。あの最弱たる天邪鬼である観測者がイデオロギーをひっくり返すのだ。彼女以外のすべてがその下に落ちていく。これはこれから描かれる逆転劇の始まりを告げる曲、云わばオープニングテーマとでもよべるものだろう。

 しかしどこか違和感を覚えないだろうか。そう、所々で逆再生が混ざっている。聞こえてくるのは幻想郷を統治するものとして君臨していた元”強者”達のテーマ曲たち。これを逆転によって彼女たちが転落したことを示すものとしてとるか。それとも...

 

語九十九節

  物語は、世の逆転を望んだ”弱者”たちから描かれていく。九十九姉妹をはじめ、かつて道具として強者たちに扱われる者たちは当然こちら側だ。彼女たちの行う、一見似つかわしくないような激しいロック調の演奏。まさに世の逆転”革命”の第一派を努めるのにふさわしい1曲ではないか?

 

Enslaved

 持ち手に反旗を翻した道具たちのほかに、明確に”弱者”側として上下関係が描かれている少女を考えてみよう。宮古芳香、彼女がいる。最初は原曲として明記されている”古きユアンシェン”が奏でられる。強者としての威厳のある、霍青娥らしい余裕のある雰囲気だ。しかしそれは徐々に荒々しい曲によって塗り替えられていく。そう”リジッドパラダイス”によって。その様子はまさに強者を喰らう弱者の姿をありありと表しているようで…。Enslavedの主語と目的語の入れ替わるまさにその瞬間の物語。

 

アノインシスター

 直訳:うるさい姉妹 逆転はイデオロギーだけにとどまらない。もし対になる能力を持つ二人の存在が逆転するのだとしたら...? 閉じた瞳を持つ少女が目を見開き、すべてを見通す瞳を持った少女がそれを閉じてしまったら…。このような結末を迎えるのは自明の理なのではないか。

 こいしが覚り妖怪としてのアイデンティティを完全に失い、無意識として人々に認識されない環境—――人々の認識をその糧とする妖怪としては致命的な環境にも関わらず滅せずにいられたのは、姉が彼女を覚り妖怪として見続けてくれたからに他ならない。

 しかし逆転した世界のなかで、こいしは瞳を開きさとりは瞳を閉ざした。ヒエラルキーが逆転したことで、元々地霊殿の主だったさとりは地底の者どもから最下層の扱いを受けることになると思われた。しかし本人は無意識と化し、誰の目にも入らない。その悪意の矛先は唯一の肉親であるこいしに向く。彼女を助けてくれる強い姉はもうどこにもいない。襲い来る大衆の強い悪意にさらされ続けたこいしはそうして絶望への道を辿る。そして自分を覚り妖怪であると認識しうる唯一の存在を失ったさとりがたどる道もまた同様...。 あぁ~どぎつい。

 

交響詩「魔帝」より Ⅱ.神話幻想

 「徒」にて描かれたアリスの戴冠式。今回は時をさかのぼって母 神綺にスポットライトがあてられる。魔界の帝らしい、厳かで重厚感のある一曲。ラストのほうで雰囲気ががらっと変わったのは、それすらも逆転してしまったからなのだろうか。神話が幻想に過ぎないとなった結果アリスが戴冠することになったのか? この曲は謎が多くてまだまだ解釈に時間がかかりそうだ。

 

異聞『正義の味方』

 「奉」輝針「セイギノミカタ」を正邪視点から描いた一曲。なにこの熱い正針、泣くぞ私。

 まずこの曲構成がずるい。最初と最後は正邪本人の曲、そしてこの正針を描いた曲はそのちょうど中間に存在する。これが何を意味するか、曲順がひっくり返っても正邪と針妙丸の距離は変わらないのだ。そう、逆転した世界でも二人の関係性は変わらない。

 そして特設サイト裏にもあったあの歌詞「お前の物語を進め。それがお前の...」なんだか気持ちが高ぶっていて何を書き出すかわかったもんじゃないのでやめておこう。

 あれ、でもなんで観測者であったはずの正邪はここにきて表舞台に顔を出してきているんですかね...。じつはこれが最大の胸熱ポイントなのだが一旦置いといて次へ。

 

Revoke

  折り返し地点を過ぎ、物語は堕ちていった”強者”たちを描き始める。幻想郷を作り上げた賢者が一人、摩多羅隠岐奈。彼女の命令は今や、二人の臣下には届かない。Revokeされてしまう。次曲の前日譚。

 個人的に原曲の"秘神マターラ"がかなり好きなのでアレンジは素直にうれしい。だがここまで鬱々とした重たい曲調へとなってしまうと、きっついものがあるよね。

 

至天

 ヒエラルキーは逆転し、二童子は摩多羅隠岐奈より上の存在となる。あれだけの強大な力を持っていた彼女を超えたのだ。二人は思ったことであろう、今の私たちこそが頂点だ、天に至ったのだと。

 しかし彼女たちは、元からいかに強い立場であったのかを知らなかった。逆転したこの世界にてふたりが絶対秘神を超えたのであれば、それをも超える者たちが無数に存在するはずだという当たり前のことに、彼女たちは気づかない。

 そんな状況で後戸の国を出て、混乱しきった幻想郷に足を踏み入れた彼女たちは井の中の蛙に過ぎなかったわけだ。

 まあ、二人が死ななかったのでストーリーとしては平和。(と思わせといての次曲よ)  前曲に続いて原曲”クレイジーバックダンサーズ”が大好きなのでアレンジは本当にうれしい。カラオケで歌いたい。

 

ヘクセン・タンツは斯くの如くに

 とても陽気に奏でられる音楽。そこはまるで舞踏会かのような…。曲名的には、へクセンタンツプラッツ(魔女の踊り場)でのヴァルプルギスの夜(魔女祭り)が描かれているのだろう。

 ん?なんだか遠くのほうで小さくパチパチとした音が聞こえるね。雨の音? いや、何かを燃やす音...。ああそうだ、魔女狩りが行われている。革命が起きた世界で強者だった者たちが一様にたどる結末は弱者による処刑。いつの世だってそれは変わらないし、それはこの幻想郷だって同じだ。そして炎の音とともにかすかに聞こえる”クレイジーバックダンサーズ

 炙られる強者たちを囲んで弱者たちは楽しそうに踊り狂う。後戸の国からやってきた二人は踊り狂う側にはいない。当たり前だろう。すべてが逆転したこの世界でその立場だけが入れ替わらないなんて幻想はあり得ない。

 こんな曲なのかな?インスト曲なので解釈が難しいが、パチパチ音のなかにクレイジーバックダンサーズが聞こえてくるんだ、こういうことなんだろう。

 

ノーモア、エニモア?モア―モア?!

 物語が弱者から順に描かれていくのならば、最後に博麗霊夢の曲がやってくるのは予想がついていた。幻想の象徴であった彼女はいまや、ヒエラルキーの最下層にいる。 

  基本的に全ての物事において受動的な態度を通している霊夢。そんな彼女が逆転したならば、この曲のようにあらゆるものを欲するエゴの権化と化すのも納得だろう。もっと、もっともっと、あれが欲しい、これが欲しい。

 彼女が能動的でいなくても悠々とした生活を送れていたのは何故か、それは彼女が”強者”だったからに他ならない。自分で行動を起こさない”弱者”が生きていけるほど、世界は甘くない。そんな楽曲。

 最後の曲としては、闇度が低くないか?と思った君。BAD ENDがいつも凄惨な悲劇で終わると思ったら大間違いだ。むしろ凄惨な最後であったほうがまだ、物語の表舞台に立てている分救いがあるように思える。しかし弱者にスポットライトは当たらない。誰にも気づかれることなくみじめな生を続けることこそが、一番のBAD ENDなのではないかと思ったり。原曲”永遠の巫女”、彼女の弱者としての生はそう簡単に終わらない。

 

 Uprising Ideology

 堕ちていく、どこまでも堕ちていく。聞こえてくるのは風を切る音と、遠くからかすかに届く物語の登場人物たちの原曲だけだ。

 天邪鬼、その本質は”逆転”。その気質は世界へ向いたとき”下剋上”となる。世界を逆転したことによって頂点に立ってしまえば、下剋上は起こせない。それは自己のアイデンティティの否定につながる。確固たる概念のもとに形成されている妖怪にとって、それは死に等しいものだ。下剋上を起こさずにはいられない、しかし成功してしまえば自己の立場がなくなる。そんなジレンマを抱えていた。

 だからその天邪鬼は世界を逆転させることに成功するや否や、表舞台から姿を消し観測者となった。そうすれば自分はヒエラルキーの頂点には立たずに済む。自己のアイデンティティを失わずに済む。

 しかしことは起こる。異聞「正義の味方」によって描かれるそれによって、彼女は表舞台に出ていかざるを得なくなった。幻想郷に出て行ってしまった時点で、彼女は頂点に立ってしまうのに...だ。そうまでして針妙丸に伝えたかった言葉が「お前の物語を進め。それがお前の正義だ!」泣くでしょこんなん。

 そうして天邪鬼は、鬼人正邪は存在基盤を失い幻想郷から排される。そう、イデオロギーが上がりに上がった(Uprising Ideology)結果、彼女は外側へと追いやられるのである。あぁ、なんて哀れな。

 

マイナストラック

 しかし、安心してほしい。物語にはまだ続きがあるのだから。曲順が逆転して描かれた物語。その最後を飾るのは1トラックではない。「屠」では背後から声をかけられたが、「逆」ではこちらから声をかけに行ってやるのだ。ここに関しては綴ってしまっては野暮であろう。

 

 

 さて、妄想レビューを繰り広げてみたわけだがいかがだっただろうか。そもそもこれをやろうと思った理由が、諸事象で夜遅い時間になるまで音楽が聴けない状態になってしまったからだ。本編を聞けるなら真っ先に聞くわ‼そりゃそうでしょ。

 まあ結果的にあとで読み返して面白いと思える文章になったのなら良しとしよう。あぁ~早く聞きたい。

Escape Sanctuary「アリス・マーガトロイドは心が怖い」感想 並びに消失した愛しき幻想の為の備忘録

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 どうも、ユトリーヌです。突然だが、私は以前スマホの壁紙をいつも鬱〜い画像にしていた。凋叶棕関連で言えば「left behind」のブックレット絵だったり、AM:TIGER「恋色目録」に寄稿された例の手紙だったり。中学二年生か何か?  と思われるかもしれないが、実際そういう画像が好きだったんだからしょうがない。

   しかし今、私のスマホに映し出されているのは満面の笑みをしたアリス・マーガトロイドだ。お、純粋にキャラを愛でられる普通の感性がようやくお前にも宿ったか〜…     違う、断じて違う。私はその笑みを見て可愛い〜‼︎って思ったり癒されたりしているのではない。

 私が彼女に向ける視線は完全に、本来遺影に向けるそれだ。その笑顔を見ると、寂しさとやり切れなさが混ざったような複雑な感情を抱いてしまう。しかもそれはアリスだけに留まらず、幻想少女全体に言える事になってしまっているのだ。

   この変化がいつ訪れたのか、答えははっきりしている。Escape Sanctuary「アリス・マーガトロイドは心が怖い」を読んでからだ。

 

    この記事はこの作品の感想記事であると同時に、タイトル通りの備忘録となる。私が今まで触れてきた数多の物語たちからどのように影響を受けて、自分の中に幻想郷を作り上げていったのか。それを一から綴っていかないと、この作品から得た感慨を書き切る事はできなくてだね…。

   というわけで激寒自分語りが多分に含まれる文となってしまう。物好きな方や近い未来この文を見返しているであろう私は是非是非最後まで読んでもらえたらと。

 

 

 

 

 

  

1、キャラクターへのイメージはこう形作られる

 

    まず初めに“人がキャラクターに抱くイメージはどうやって形作られるのか”を書いていきたい。そんなん読みたくねぇ‼︎って人は、要するに「最初に抱いたイメージがそのキャラへのそれをほぼ決定付けてるよ♪  よほどインパクトの強い作品に出会わないとそれは覆らないよ♪」ってことを言いたいだけなので、読み飛ばして下さいな。

  

 

   さて、基本的にキャラへのイメージの土台は“最初に定めた定義”が形作る。例えばレミリアを例に挙げると、最初に定義した“彼女はこういうキャラクターだ”というイメージは“吸血鬼、紅い、カリスマ”という原作準拠の設定だったり。あるいは人によっては“吸血鬼、ロリ、う〜☆”という設定だったり。

   そしてその最初に定義したイメージは基本的にそのキャラへのそれの根幹になる。よってキャラクターに触れた最初の作品の設定が、そのキャラへのイメージの半分以上を決定づけるといっても過言ではない。 

 

  いやいや、俺の第一印象と今の印象全然違うけど?っていう人は当然大勢いるだろう。そういう場合は2つのうちのどちらかを体験しているはず。

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①最初の定義が違っていると自覚した場合

 

   例えば最初に触れた二次創作作品と原作の設定が違っていたので修正した場合。あるいは性格のいいキャラだと思っていたら、後日ストーリーの途中でキャラが豹変した場合だとか。レミリアの例でいえば、”かりちゅまのイメージを抱いていたら原作ではカリスマだった”といった感じ。これはそのキャラを知ってから日が浅いとよく起こるが、イメージが定着しきってからはあまり起こらない現象と言える。

 

 

 ②根幹になっているイメージがひっくり返されてしまう程の強烈な作品に出会った場合

 

 原作設定、正しい設定を頭ではわかっているが、二次創作物で受けたキャラへの印象は強すぎてそのイメージを抱いてしまっている場合などだ。レミリアでいうならば、”とある作品でレミリアの正体が黒死病そのものだったという設定があった。印象が強すぎて頭から離れねえ‼”みたいな感じ。

   基本的には最初のイメージ、もしくは①によって塗り替えられた定義が強固な土台であり続ける。それに比べればそのあと積まれたイメージや知識がもたらす印象は微々たるものである。

 

 

 要するに何が言いたいかというと、先ほども述べた通り「最初に抱いたイメージがそのキャラへのそれをほぼ決定付けてるよ♪  よほどインパクトの強い作品に出会わないとそれは覆らないよ♪」ということだ。

  

 

2、私と東方との出会い

 

   では私が最初に振れた東方作品は何かと思い返してみる。ガチの最初は「真っ黒ナイトオブナイツ」

 

   

 

 今でもよく聞く作曲者不明の名曲、これがきっかけで私は東方の存在を知った。しかし今考えたいのは最初に幻想少女たちへのイメージを形作った作品だ。ちょっとこの曲は違う。

  

 それを思い出してみる。最初に彼女たちに触れた作品は氷蓮「【東方MMD】紅魔館:チケット争奪戦」だ。

  <script type="application/javascript" src="https://embed.nicovideo.jp/watch/sm20942324/script?w=640&h=360"></script><noscript><a href="http://www.nicovideo.jp/watch/sm20942324">【東方MMD】紅魔館:チケット争奪戦</a></noscript>

  動画を視聴する前に(どうせハマるぞ?いいのか?)と自問自答した覚えがある。頭脳明晰キャラが繰り広げる頭の悪い知能戦が大好きだった私は案の定この作品を気に入り、そこから関連作品をあさって東方にハマることとなる。

 そこから原作知識による多少のイメージの変化はあれど、私の中の幻想郷は「コメディ空間」からスタートしているのである。多くの作品に触れたがしばらくその前提が変化することはなかった。

 

 

3、凋叶棕襲来 そしてBAD ENDの輝く世界へ

  

 ある時、とある曲に出会ってしまったがために私の幻想郷に大きな変化が訪れる。そう、凋叶棕「NeGa/PoSi*ラブ/コール」だ。

 

   

 

 この曲を皮切りに凋叶棕曲はコメディ空間を悉く破壊していく。明確な区切りだ。もうこの先私の幻想が、少女たちがアホやっているだけの愉快な世界に戻ることは二度とない。

 しかし私はこの新たな幻想郷に魅入られることになる。確かに凋叶棕によって塗り替えられた幻想郷は殺伐としたどす黒い空間になった。でもその世界は光に満ち溢れていたのである。なぜなら幻想少女たちの”意思”と”存在”がそこには色濃く表れていたから。私が心を囚われてしまった最大の理由だ。

 凋叶棕曲では多くの少女たちが凄惨な末路を辿る。しかしその誰もが「私はこんなにも生きたかった‼」「私は世界を、誰々をこうしたかった‼こうありたかった‼」というような強い意志を持っているのだ。彼女たちの放つ輝かしい光は、ある時は真っ赤に輝く希望への光だったり、ある時は禍々しさを孕んだどす黒い光だったり、またある時は美しく清らかな澄んだ水色だったり…。

 

 たとえ少女が世界に見捨てられて消え去ってしまう結末だったとしても、あるいは人々の記憶にすら残らず忘れられてしまう結末を迎えたのだとしても… そこには強い”光”が”意思”が”存在”が確かにあったというそれだけで私はそこに希望を、美しさを見いだせる。そういう点で、凋叶棕曲によって彩られた私の幻想郷は希望に満ち溢れた世界であった。

 

 そしてその光を求める欲望が加速したのは四面楚歌「生前葬に出会ったから。凋叶棕「The beautiful world」によって秘封俱楽部熱が高まったところで読んでしまったから、もう沼から脱することはできない状態に。

 

「生前葬」境界から視えた外界―至― 新刊

 

 

 これを皮切りに秘封界隈にドはまりすることになる。こいつらいつも死んでんなと言いたくなるような強烈な作品群。それらに描かれる蓮子とメリーはとてもまばゆい光を放っていた。

 

 

4、意思と存在の否定、幻想郷の新たな区切り

 

 以前考えたことがある。もし”意思”や”存在”すら否定されてしまう物語があったとしたら、それに触れたとき私の幻想郷はどうなってしまうのだろうかと。しかしそんな物語はあり得なかった。

 まず”そもそも登場人物に強い意志の宿っていない物語”ならば私の幻想郷に影響を与えてこない。次に”登場人物の意思が作中で’無駄だった’と完全に否定されてしまう物語”。これはきついね~報われないね~。でもそこには確かに意思が存在していた。たとえその意思こそが救いようのない結末にたどり着いてしまう原因だったのだとしても、その意思が光り輝いていたという事実は消えない。その身を燃やし尽くしながら前へ進もうとしたというその強さは否定されない。

 私の幻想郷においてその光は絶対的であった。もっと幻想少女たちの強い光の美しさに魅入られたくて、数多くのBAD END作品に触れていったのである。

 

 しかし幻想郷の崩壊は突然に起こる。あり得なかったはずの”意思”の、”存在”の否定は起こりうると知ってしまったのだ。そう、Escape Sanctuary「アリス・マーガトロイドは心が怖い」によって。ここからネタバレ注意

 

       f:id:ogatamakoto012:20180604222940j:plain

 

 この物語で訪れる悲劇、それは”為り変わり”である。主人公「Alice」は自分とそっくりな容姿をした人形に魔力、知識、を分け与えることによって念願の完全自立人形「Arice」を作り上げる。しかし完璧が過ぎてしまった「Arice」は次第に主に牙をむき始め、悪魔的なまでの策略によって最後には「Alice」となり替わってしまうのである。「Arice」が大勢の大衆の前で自らは人間であると証明してしまったあのシーン、完全に血の気が引いてしまった。首元にナイフを突きつけられたような感覚っていうのはこういうことを言うんだろうなと。

 

 さて、この“為り変わり”は今まで触れてきた悲劇と決定的に異なる点がある。どんな凄惨な結末を迎えようとも決して無くならなかった、「少女たちの“意思”と“存在”がそこにあった」という事実。それが奪われてしまう。「Alice」がこれから辿るはずだった道、抱くはずだった思い、関わるはずだった全ては愚か、彼女が今まで辿ってきた道、抱いた思い、関わりあった全てもが「Arice」のものとなってしまう。そこに「Alice」が存在していたという事実は残らない。彼女の“意思”と“存在”は消え去ったのではない、“無かった”事になったのだ…。これ以上の絶望があるだろうか。

 今までに為り代わりによるBAD END作品はいくつか見たことがあるが、ここまでの衝撃を叩きつけてきたものは1つたりとしてなかった。基本的に小説を読んでる最中にこういうことを考えている訳ではないので、この衝撃自体は巧みなストーリー展開と恐怖感を煽る洗練された描写によるものなのだろう。

 しかし「Alice」の結末を見届け、彼女に想いを馳せた時、これ以上ない深い絶望に気がついてしまった。あれだけ眩い輝きを放っていた光は絶対では無かった。この物語の1つ前にEscape Sanctity「本居小鈴は識が怖い」をよみ、“知ること”の恐怖を知ったことも大きく影響しているのだろう。

 光の非絶対性を知ってしまった以上、これによって支えられていた私の幻想郷は崩壊から逃れることができない。こうして希望に満ち溢れていた世界は消失し、1つの終わりを迎えたのである。

 

5、愛しき幻想の為の備忘録

 さて、崩壊した私の幻想はどのように再構築されて今は何によって支えられているのか、それはまだ分からない。今の所わかりやすく表れている変化は、最初に記した通り“幻想少女達の笑顔を見ると、寂しさとやり切れなさが混じった感情を抱いてしまう”程度のものだ(この変化を“程度と言ってしまったいいのか怪しいが…)。

 「東方project」という作品群が私の記憶に残っている以上、幻想郷は私の中から無くなった訳ではない。しかしあの“意思”と“存在”の光に満ち溢れていた世界が消失してしまった事は事実なのだ。私はこの先出会う物語達に、今私の中にある幻想を通して触れていく。とても喜ばしいことじゃないか、それは人の人生観ならぬ幻想観を変え得るだけの素晴らしい物語に出会えた証拠なのだから。「幻想とは何か。己が答えを胸にした者だけが読み進めよ。ここには、貴方の幻想を侵すかもしれない、私だけの幻想が記されている」全くもってその通りだった。

 

 しかしパロディ空間が凋叶棕によって塗りかえられた時と同様、二度と元には戻れない。再びあの愛しい世界を通して幻想を垣間見ることは叶わない。言ってしまえばなんて事はない、「新たに触れた物語に受けた衝撃によって世界観が変化した」たったそれだけのことである。でも私にはそうやって簡単に割り切ることが出来ない。

 だからこそ私は想いを綴らずにはいられなかったのだ。他の光り輝く美しい世界が時とともに風化していってしまうことが許せなかった。この文章は今は亡き愛しき幻想を忘れえぬものにする為の備忘録だ。

 そう遠くない先、新たな幻想と共にあることが当たり前となった私は、きっとこれを見返すだろう。その時のために書き記しておこう。「幻想郷は、幻想少女達の生み出す光に彩られた私の世界は、これ以上ない程に美しかった。」これが今の私の綴ることの出来る精一杯の“意思”と“存在”の証拠だ。

 

 ふふ、きっとこの“備忘録を書かずにいられなかった”という衝動もEscape Sanctuary「新訳 忘れ去られた少女」の影響を強く受けていることによるものなんだよなぁ。全く、著者さんの作品の虜だよ本当に。

 

 これでこれからも後腐れなく物語達の関わっていくことができるね。そもそも論として、普通は原作が強い影響を持つ以上、人によってこれだけの世界観の差は出ないと思うんだ。二次創作という素晴らしい文化が発展している東方だからこそ起こり得たことなんじゃないかとなと。そういう点でも東方という作品に出会えてよかったと思う。

 幻想の生みの親ZUNさん、今は亡き幻想を彩る素晴らしい作品を創り出してくれたクリエイターの方々、そしてこれだけ私の心を揺さぶってくれたEscape Sanctuary 五十嵐月夜さん(なんだかこの文だと褒めてんのか貶してるのか分からない感じですが…、本当に心を打たれました。是非これからも存分に道連れにしていただければと)に最大級の感謝を述べたい。ありがとうございましたああぁぁぁぁぁっ‼︎(新刊リスペクト)

 

 さてさて、まだまだ読めていない作品達が山ほどあるんだ。私の中に宿った新たな幻想郷と共に数多の世界を巡っていこう。いつかあの愛しき世界に想いを馳せたくなって、この備忘録を読み返す時が来ることを願って。

 

p.s.ふつうに自分の言葉で書いたつもりだったのに、なんだか何処かで見たような文章構成になってるのはなんでだろなぁ…

 

Escape Sanctuary「アリス・マーガトロイドは心が怖い」によって消失した、愛しき幻想の為の備忘録

第十五回例大祭一般参加レポ

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  どうも、ユトリーヌです。昨日の例大祭お疲れ様です。楽しかったですね〜…  ん?日付見ろだって?もう2週間経ってるだって?  あのですね、ちゃんと例大祭翌日に感想レポ書いたんですよ。そしてそのまま投稿した気になっていつのまにか2週間とかいう…。というわけでこれ以降は例大祭翌日に書いた文章となります。いいな⁉︎今日は5月7日だぞわかったな⁉︎(威圧)

 

 

  例大祭お疲れ様でした‼︎  いや〜超楽しかった。欲しかった新刊もほぼ入手出来たり、初スケブをはなだひょうさんにに描いてもらえたり、RDさんや卯月秋千さん、はーしぇんさんにサイン頂けたりとこれ以上ない至福の時間だった…。この体験をわすれえぬものにする為にも、レポートという形で感想を綴っていきたいと思う。イベント初心者には役立つ情報もそれなりに。

 

 

  まず最初に言っておかなきゃいけない、というか謝罪しなきゃいけない案件。始発組で早朝来場しました本当にすみません(土下座)。

  いやね、今回は今までいただけたことのないスケブに挑戦しようと思ったんですよ…。女王陛下さんとはなだひょうさんのスケブ欲しかったんですよ…。ここ4年は無かったけれども、例大祭では徹夜&早朝来場者に対してペナルティをかける事がある。それを喰らおうもんなら欲しいものはまず買えないので、みんなは自重しようね。近隣住民の迷惑になるぞ(戒め)  私も来年は8:00ごろに行きます…。 始発未経験の正しい皆さんはこのレポで、始発組の中で待機する事が場合によっては地獄と化すことを知って欲しい。8:00にちゃんと行こうって思うから本当に。

 

  

  それじゃあレポっていこう。

 

  早朝3時半に家を出発。前日に、回りたいサークルのお品書きのリツイート&いいねの数を確認し回る順番を決める作業をしていたので少々睡眠不足。

  新木場→交際展示場ルートだと始発ガチ勢達に勝てないと踏み、豊洲有明ルートを使った。これなら新木場ルートより4分早く現地入りできる。4分あれば300人は抜ける(人間の屑並感)

  途中駅で、全身さとりお姉ちゃん塗れの2人組に遭遇。歴戦の猛者オーラを醸し出していたのでこっそり付いて行ったら、乗り換えやらなんやらで常に最短ルートを通って向かう事が出来た。ガチ勢凄い。

 

  5:39に東京ビックサイト到着。この時点で前には大体300人ほどが並んでいた。前日に飲み過ぎたらしくめちゃくちゃ体調悪そうな中国人の方や、お前絶対1ヶ月は風呂入ってないだろっていう匂いを放つ方等々、ヤバイ奴らの集まり。もちろん全員が全員そうじゃないんだけどね…。そういう人の後ろで4時間座りっぱなしなの想像してみ?始発やめようって思わない?

  しばらくして東ホールのコスプレエリアに移動、その後列固定。運良く周りはちゃんと人間やってる方々だったので良かった。それどころかいわゆる一期一会の出会いというやつが。

  前に座っていた爽やか好青年。彼は春季例大祭9回目の猛者。お気に入りのサークルさんやプレミア品情報、ペナルティに対する考察、2020年の例大祭についてetc...沢山の話をすることができた。

  特にオススメされたイベント用装備が凄い。私はいつも布製トートバック2つ+お金や飲み物等用の小さいショルダーバック1つで戦場を駆け(歩き)回っていた。しかし彼は薄っぺらくして邪魔にならなくしたリュックを背中に、麻薬取引をイメージすると出てくるようなハードケースに紐を通して肩掛けするスタイル。これだとかさばらない、戦利品を傷つけない、お金もすぐ出せるの三拍子が揃った完璧な布陣になるという…  次回から見習おう。

  他の参加者と東方談話に花を咲かせられるのも例大祭の醍醐味。Twitterやってなかったみたいなので繋がれなかったのが残念。例大祭レポはかなり読み込んでる感じだったからもしかしたらこの記事も目に入るかも。私だよ〜、待機列一番右端で真剣にペナルティ議論した奴だよ〜、スケブゲットできたよ〜‼︎

 

  

  10:10ごろに列が動き会場前に待機、そして10:30、戦いの火蓋が切って落とされる。

  私はスケブ目当てで「プレカレデウム」へ直行。先頭組とあまり時間の差はなかったのでイケるかと思いきや4人目っていうね。やはり初参加サークルは少部数になりがちだから早めに行けってのは常識なのか…。スケブは貰えなかったものの世に10冊しか存在しない新刊を入手出来たので満足。

 

  次にはなだひょうさんのスケブ&卯月秋千さんの新刊目当てに「相乗り回転ブランコ」へ。はなだひょう先生は午前中ずっとお買い物予定との事でいらっしゃらなかったが、卯月先生とお話しすることができた。このあいだ幻想物語寄稿集の感想挙げたユトリーヌです〜って名乗ったらありがたい言葉をかけてくださったんだよね、超嬉しかった。持参してきた幻想物語寄稿集にサインも頂けることになってテンションは最高潮。本を預けて先に新刊回収。

 

 

  会場限定特典の有無、委託の有無、部数の多さ、Twitter&pixivでの人気、単純距離を考慮して予め構築しておいたルート通りに着々とゲットしていく。その途中で訪れた「青雲アステロイド」。幻想物語物語寄稿集の企画者はーしぇんさんにもサインを頂くことが出来た。ありがたやありがたや…。〜金〜の方も素晴らしい作品で溢れかえってるから楽しく読んでねとの事、期待しちゃうね。

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  程なくして欲しかった新刊をほぼゲット‼︎  とりあえず一安心。その後はサークルの新規開拓、グッズ売り場、音ゲー鑑賞、コスプレエリアetc... あちこちをブラブラ。面白かった出来事を箇条書きで挙げていこう。

 

  ⚪︎多種多様なコスプレ。手軽なものだとパチュリーケロちゃん、神主のZUN帽を装着してる人などなど。

  結構な頻度で変Tが紛れ込んでて笑った。袖を雑に切ってタンクトップにした変Tを着てるガチムチおじさん達面白すぎない?

 

  ⚪︎そういう一部のネタ勢を除いて、コスプレは異常にレベルが高い。

  小学生位の女の子がナズーリンのコスプレしてんの超絶可愛かった。美人で瀟洒ァ…な感じの咲夜さんが、タバコ吸いてぇ!でもコスプレしたままじゃ出来ねぇ!って言っててニヤニヤ。

  そして女性陣の方々のコスプレのレベルが高いのは流石として、野郎どものコスプレが異常に似合ってるのはなんなんだ…?

 

 ⚪︎ 並びながら一般参加の方々と話すこともあった。もう少し人間とコミュニケーション出来る力をつけようねという本音はありながらも、彼らが幻想少女へ抱く強い愛はストレートに伝わってきた。

 

  ⚪︎事前にTwitterで取り置きして貰った「ALICE in 幻想LAND」のトランプを受け取ったのだが、わざわざ特製のポストカードを作って下さっていた。嬉しい…嬉しい…。

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  ⚪︎神主みくじを引きに行こうとしたが、外まで1000人近くの行列が出来てて流石に諦める。神主の後ろ姿は拝めたからいいかな…

 

  ⚪︎やっぱり壁サークルの画力は無茶苦茶高くてビビるよね。終了ギリギリになっても、既巻はおろか新刊も残ってるくらい大量の部数を持ち込んでるところが多かった。やはり大手壁サークルは会場限定特典でもない限り、後に回すのが得策と見える。

 

  ⚪︎ニコニコ生放送のステージを少し見に行った。外国人の方がマイクに向かって東方への熱い思いを吼えていて、場のテンションが凄まじく高かった。拙い日本語で繰り出されるド直球の東方愛、しかと胸に響いたぜ…。

 

 

  そんなことをしている間に時刻は12時過ぎ。「相乗り回転ブランコ」に戻るとちょうど卯月先生がサインを書いて下さっていた。感謝感激だよホントに…。

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  しかもサークルにははなだひょう先生の姿が。午後なこともありダメ元でスケブを頼んだのだが、まさかのOK‼︎  魔理沙ちゃんを書いてくれることに。1時間後にまた来てねとの事だったので一旦その場を離れる。初スケブがはなだひょう先生だよ⁉︎ヤバくない⁉︎(語彙力)

 

  アナログゲームエリアを回っている間にスケブ指定の1時間経過。心を躍らせてスケブを受け取りに行くと、もうそこには魔理沙ちゃんがいた。やばいよ、はなだひょうさんが直筆で書いてくれた魔理沙ちゃんだよ、テンション上がらないわけないよね。

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ありがとう…… ありがとうはなだひょう先生  本当に……本当に……「ありがとう」…それしか言う言葉がみつからない…

 

  そして最後に「凋叶棕」へ向かう。既に旧譜を完売し切ったとの事だったので、お話出来ないかな〜あわよくばサイン頂けないかな〜と。

  到着すると売り子の方2人と談笑する凋叶棕好きの同胞が。RDさんは自分のお買い物中らしい。同胞の彼もサインを頂きに来たとのこと。今回でアルバムを15枚入手したみたいでかなり強かった。

  このアルバムいいよね〜、〇〇のコスプレしてる人見た?なんて話をしてしばらくしたらRDさん降臨。快くサインをOKしてくれた上に、神主御籤の末吉は間違いなく魔理沙の仕業という考察も披露してくれた。普段Twitterで見てる考察を一足先に本人から聞かせて頂くの最高にテンション上がらない⁉︎  サインはナンバリング作品1の宴にして頂くことに。家宝が出来てしまった…これ以上ない嬉しさをどう表現すれば良いのか…。本当にありがとうございます…

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  ちなみに同胞の彼はサイン貰った後に差し入れを渡していた。私も持ってくれば良かったとは思ったが、高麗人参パウダーってのは如何なものなんだ?RDさん若干困惑してたぞ。

 

 

  終了時間30分ほど前に撤収。持参したバックと会場でもらったバック計3つは全てパンパン。予算を大幅にオーバーしてしまったので1ヶ月は昼飯抜きだが、後悔はしていない。

 

 

 

 

  さて、今回の良かった点と反省点をまとめよう。

 

  ⚪︎前日までの準備。事前にTwitter &pixivいいねの数一覧を作ったのは大いに役立った。しかし平日に小銭を作り忘れて、友達に片っ端から両替してもらう変人と化した。次は忘れないようにしよう。

  ⚪︎予想以上にバックがパンパンになり、戦利品が傷つかないか心配だった。待機列の彼の助言を頼りに、次はハードケースで挑もうと思う。地図もファイリングするより下敷きの方が良さそうだぞ。

  ⚪︎始発では行かない。人間の屑にはなりたくないだろう…?

  ⚪︎サークルの回る順番は完璧だった。「スケブ狙いサークル→売れ残りを危惧して少部数しか刷らないであろう初参加サークル→先着限定特典付き新刊→会場限定特典付き新刊→外部委託しない新刊→Twitter&pixivでいいねが大量に付いていた新刊→誕生日席→島中→壁」 移動距離はそこまで考慮しなくても問題なかったので、次回もこの戦法で行きたいと思う。

  ⚪︎一箇所だけ書い忘れが、しかも委託してないとかいう悲劇。チェック表作ったのに時間を惜しんで使ってなかったのが良くなかった。

  ⚪︎サークルさんへの差し入れも次からは持って行こうかな。聞いてみたら長持ちする普通のお菓子程度のものがいいみたい。

 

  こんなところだろうか。自分の勘を頼りにせざるを得ないことの多い同人イベントで意外と大切なのがこの自己反省会だったりする。積み重ねた経験を次回に活かそう。

 

 

  いやぁ、今回の例大祭は過去最高に楽しかった。前回までは作品を買って一般参加者とちょっと話す程度だった。今回みたく積極的にサークル参加者に感想や感謝を伝えに行くのはどんどん実践するべきなのかなと。私も楽しめたし相手も喜んでくれたし。

  こんなにも素晴らしい体験や様々な感情をもたらしてくれた東方同人界隈に関われた事は、本当に幸せな事だと思う。全ての東方を愛するものたちへの感謝を持って筆を置こう。ありがとう。

 

  まあ、作品を読むまでが本番だから。まだまだ私の例大祭は終わらないんですけどね。

幻想物語寄稿集より「幻想の旅人」

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  どうも、ユトリーヌです。今回も凋叶棕合同小説、「幻想物語寄稿集」から。特に考察の難度の高かった「幻想の旅人」の感想&考察を綴っていく。他の短編の感想等は別記事にあるのでそっちへどうぞ。

 

 

 

  初見時には正直「ん?私って結局誰よ」だの「唐突にゆかれいまりの会話が入ってきて唐突に物語が終わったぞ」だの、はてなマークがいくつも頭上に浮いてきたわけだが…。文章をしっかり読んでみると物語が繋がってくる。

 

    以下ネタバレ注意。

 

 

 

 

 

 

  先に考察の結論。これは幻想少女達の“夢”と“幻想”への認識を描いた、そして蓮子とメリーの秘封倶楽部再興のための最初の一歩を描いた物語である。

 

 

    順を追っていこう。まず最大の問題点「“私”とは誰か」である。当然これが分からなきゃ考察は進まないわけだが…。断言しよう、彼女は「宇佐見蓮子」だ。根拠を挙げていこう。

⚪︎口調(一人称“私”、語尾が「〜だわ」)

⚪︎「「管理下」以前だって世界は自然な状態では無かったけれど」  ディストピアは昔から人工、合成物で溢れてたらしいぞ…。

⚪︎「身勝手な事だけれど、理性的ではないけれど、それでも。」  基本的に、物事は理性的に考えるべきだという思考が読み取れる。

⚪︎そして決定的な根拠、“私”についての話、夢についての話をする紫の台詞だ。霊夢の「昔のことでも思い出したの?」という問いに対して紫は「そうかもね。私が今の夢を抱いた頃のことをちょっと思い出してしまっただけですわ」と言ったのだ。この作品が凋叶棕曲の三次創作であることを踏まえれば紫=メリーなのであり…もうお分かりだろう?

 

  “私”=蓮子、紫=メリーである事が確定すれば、物語は凋叶棕曲も交えてどんどん形を成して行く。

  舞台はメリーがすでに紫となってしまっている時間軸。蓮子は「rebellion-たいせつなもののために-」にてメリーを探し出す決意をするわけだが、技術的特異点発生までに見つけることはできなかったのだと考えられる。なぜなら、

⚪︎蓮子がメリーと共にいるのであれば、早々に夢のないVR世界で過ごす決断をするはずがない。

⚪︎蓮子は超統一物理学を専攻する、幻想郷的非常識からは遠い存在。常識の結界である博麗大結界を超えるのは、それこそメリーの様な非常識の存在といない限り不可能だと考えられる。

  メリーを見つけられないまま、技術的特異点が発生。蓮子が早々に人工知能支配下に下ったのは、メリーのいない世界に夢と期待を見出せなかったからなのではないだろうか。

  そうして長い時間がたち、物語本編の出来事が起こる。蓮子は「VR世界で過ごすことがこの上ない幸福である」という世界の常識を打ち破ったのである。ここでようやく非常識へと至った彼女は博麗大結界を超えることとなる…。

  もしくはこのタイミングで紫が蓮子を神隠しした事も考えられるのだが…。私はこの説は違うと思っている。理由は後述しよう。

 

  物語を時間軸に沿って纏めるとこうだ。

  ⚪︎「幻想郷そのもの」を夢に抱いたメリーが紫となる。(絶対的一方通行、The beautiful world、etc...)

⚪︎残された蓮子がメリーを思い出し、探し出す事を決意する。(rebellion-たいせつなもののために-)

⚪︎しかし非常識に至る術を持たない蓮子はメリーを探し出すことができない

⚪︎技術的特異点発生&ディストピア形成。抵抗する人々も多くいたが、メリーのいない世界に夢と希望を見出せない蓮子は早々に支配下に下る。

⚪︎VR世界で長い時を過ごすも、ある時その世界で過ごす事が幸せであるという常識を打ち破る。その結果非常識側の存在となって、幻想郷へと誘われる。

⚪︎紫と蓮子の再開

⚪︎蓮子が永琳の元へ、そのまま入院

⚪︎紫が霊夢に蓮子の話、夢の話をする

⚪︎霊夢魔理沙がお喋り、そのまま日の出を迎える。

⚪︎同時刻頃に蓮子退院。幻想の世界で旅を始める。

 

  以上が全体の流れの解釈である。凋叶棕好きであれば誰もが気になったであろう、メリーが消えた後の蓮子の動向。秘封倶楽部の物語は蓮子が幻想入りした事によって再び動き始める…。

 

 

  これ以上に解釈を進める為にはもう一つ考察しなければならない。幻想少女たちは“夢”と“幻想”についてどう認識しているのか、だ。これを考える事によって、物語のさらに奥深くが見えてくる。

 

  まずは霧雨魔理沙から見ていこう。最初が彼女である理由は、物語全体の夢についての基本方針が読み取れるからだ。

  宴会の後、霊夢魔理沙が語らうシーン。霊夢には千客万来賽銭万歳!という小さくて漠然とした夢はあるものの、自分の芯になるような強い夢は無い。そんな彼女に魔理沙が言った言葉に彼女の夢への認識が現れている。

「夢ってのは弱い奴が立ち上がるために持つものなんだ。本当に強いやつってのは夢なんかなくたって、自分の理想に沿った行動を出来る。それが出来ない弱い奴だけが、指針としての夢がいくつも必要なんだよ」

  強者は夢を抱かなくとも理想に沿った行動ができる。夢として認識した時点でそれは叶う事のない妄言であり幻想でしかないのである。

  逆に弱者は夢を抱いてそれを指針としないと行動が起こせない。だからこそ叶う事は無さそうな、幻想に過ぎないような事にも挑み続ける事ができるのだ。

 

  “強者”と“弱者”、この対比を軸に幻想少女達の夢への認識は描かれていく。

  いくつもの夢を追い求める魔理沙は“弱者”、自分の芯となる夢を持たずとも博麗の巫女としての使命を全うし続ける霊夢は“強者”側だ。

  ちなみに先ほどの魔理沙の台詞の後、魔理沙「もし霊夢が立ち直れなくなるようなら、私が霊夢の前に立ちはだかってやるよ」  霊夢「あんたはその幻想を追い続けてなさいな。追いつかれてはやらないわよ」という会話がある。強者側である霊夢が幻想だと言っている事を考えると…。強い光の中にほのかな闇を感じる、レイマリ推しとしては非常に熱いシーン。(この会話の中に闇を見出すとかもう末期なのでは⁉︎)

 

  次に八意永琳。彼女になぜ人間は月にやってくるのかを尋ねられた蓮子は「夢だったから」と答える。それに対して永琳が言った言葉

 「夢ねぇ。そんなのは幻想でしかないというのに」

  夢を抱いた時点でそれは幻想でしかないという思考。永琳は分かりやすい“強者”側だ。彼女の存在が強者と弱者の対比をより強めている。

 

  それを踏まえて八雲紫について考えてみる。彼女程の大妖怪であれば、本来は“強者”側にいて然るべきであるが…。夢はあるのかと霊夢に問われた紫の言葉は別の事実を示す。

  「私の夢はこの幻想郷そのものですわ」「夢は最後までやり残しておかないといけないのですわ」「今の夢を抱いた頃のことをちょっと思い出してしまっただけですわ」

  そう、紫は夢を追い求める“弱者”だ。なぜ大妖怪である彼女が弱者であるのか、答えは明白。彼女は昔、パートナーと共に幻想を追いかけていた人間「マエリベリー・ハーン」であったのだから…。

  しかし彼女の夢が「幻想郷そのもの」だけであるとしたら疑問が残る。霊夢曰く、達成したかどうかもわからない曖昧な夢でしかない。弱者には明確に達成したかどうかの分かる、指針となる夢が必要なのだ。それに紫は「夢は最後までやり残しておかないといけない」という。彼女にはまだ達成していない明確な夢があるはずだ。

  ではそれは一体何なのか。霊夢にそのまま溺れていろと言われてしまうような、そんな幻想に過ぎない夢。人間っぽさを醸し出しながら紫は思い出すのだ「今の夢を抱いた頃」の事を。

  八雲紫マエリベリー・ハーンの夢は「蓮子と共にいる事」  それも、蓮子がVR世界に入るまで神隠ししなかった事を考えれば「蓮子に自力で自らの下まで辿り着いてもらう事」なのではないだろうか。

  私が、蓮子は紫に神隠しされて幻想入りしたとは考えない理由である。

 

  そして最後に紫の、メリーの夢を託された宇佐見蓮子について考える。なぜ月にやってきたのかという質問に対して、「理由を聞いたことはない&今の私が思う」とした上で「たぶン、ユメ、だったかラ……」「それデも、それガわたしタちのゆメだから…」と言ったり、「目的や目標のない旅は地獄」と考える彼女は紛れもない“弱者”側である。

  そんな蓮子が描く夢とは何か。VR世界を脱する時の記述「私の世界(きおく)は、たったひとつの夢となった。」それが答えだ。VR世界ではなく私自身の記憶、歩いて来た世界を指針にする。夢にする。それが彼女の決断。紫の言葉で言えば「文明に奪われた世界(きおく)を取り戻すこと」である。

  今は持ち得ない蓮子自身の記憶、一度は取り戻したものの文明によって奪われた記憶、親愛なるパートナーと共に歩いてきた世界の記憶、それを取り戻す事が彼女の目指す夢。そう、紫、メリー、蓮子の目指す夢はまさに《秘封倶楽部の再興》に他ならないのである…

 

  共に願った夢、それが《秘封倶楽部

 

  幻想郷にとどまる事を決めた蓮子は姿を変えたメリーのもとにたどり着く事が出来るのか、それはまだわからない。しかし私は、彼女たちが更なる幻想を求めて世界を走り回る日はそう遠くないと思うのだ。

 

  夢を現にかえる存在、それが《秘封倶楽部》なのだから…

 

 

  以上、長々と考察を綴ってきた。当然この物語は三次創作であり凋叶棕曲の描く物語の本筋ではない。しかしrebellionの続きとして非常に完成度の高い、実に美しい作品である。こんな未来もあるのではないかと思うと救われたような、しかし感傷的な不思議な気分になってしまうのだ。

 

  著者の桶住人のmistさん。今回初めて作品を読んだのだが、想像力を刺激されるような広がりのある世界観だと感じた。幻想物語寄稿集-金-のほうで「ハロー、マイフレンド」のお話を書かれているようで、また凄まじく奥の深い話が展開されるのでは?と非常に読むのが楽しみである。

 

  このような素晴らしい作品を作り出してくださった桶住人のmist様、幻想物語寄稿集企画者のはーしぇん様、凋叶棕主宰RD様、そして幻想の生みの親ZUN様へ感謝したい。

 

 

  実はこのブログを書いているのは第十五回例大祭の形成列に並んでいる真っ最中なのだ。今回は凋叶棕の新譜はないものの委託曲が数多くあり、また幻想物語寄稿集の作者の方々も新作を発表される。是非ともそれらを入手して、感想をつらつらと綴りたいものだ。

凋叶棕アルバム“徒”より「ロストドリーム・ジェネレーションズ」

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  どうもユトリーヌです。今回は凋叶棕の“自由”をテーマにしたアルバム「徒」より、「ロストドリーム・ジェネレーションズ」について綴っていく。

  この曲を選んだ理由は単純。前記事にて凋叶棕合同「幻想物語寄稿集」に触れて来たわけだが、その作品の中の1つ「幻想の旅人」の解釈が非常に難しい。大まかな流れは分かっても、キャラの心理描写なりは原曲を理解してなきゃ分からねぇ!ということで、ここで一旦整理しておこうというわけだ。

 

  以下ネタバレ。J-POPとかしか知らない人からしたら、曲でネタバレって何だよ⁉︎ってなるだろうから凋叶棕は凄い。

 

 

 

 

 

   まず最初に考察の結論から言っておこう。この曲は、

  ⚪︎RDさんと神主が、この曲を聞いている私達に進むべき道を提示した曲

⚪︎逆説的蓮メリちゅっちゅ

である。順に説明していこう。

 

 

  曲の概要とテーマは、凋叶棕考察wikiの記述が非常に分かりやすい。

 

二十世紀の旅人。
二十世紀のノアの箱舟は、期待と不安を乗せて宙を飛んだ。
だが、期待だけを月に置き忘れてきてしまったのだろうか。
未来と言われていた二十一世紀には、不安とほんの少しの幻想だけ
しか残されていなかった。
(東方永夜抄MusicRoom 「ヴォヤージュ1969」)

上記の曲コメントを元ネタとしたRDさんお気に入りの一曲。
1969年はアポロ11号が人類初の有人月面着陸を成功させた年。
月面着陸という夢を成し遂げた20世紀の人々と新たな夢を見い出せずにいる現代人の苦悩がテーマ。

                           凋叶棕考察・小ネタwikiより

 

  これを踏まえてストーリーを解釈していこう。歌詞にちゃんと現れてるから考察しやすい部類かな。

 

  大前提としての定義

⚪︎夢:将来実現させたい願望

⚪︎幻想:現実に満たすことのできない願望

 

  言葉の定義通りだと、「夢の代わりに幻想を求める」というのは現実逃避みたいな悪い意味合いに見えてしまう。だがこの東方界隈において「幻想を求める」という事をそのような悪い意味合いとしては取るのは浅はかであることは言うまでもない。

 

  原曲は「ヴォヤージュ1969」。1969年、アポロ11号は期待と不安を抱いて旅立ち、人類史上初の有人月面着陸を成功させた。ニール・アームストロング船長は語る、“That's one small step for man, one giant leap for mankind.”二十世紀の旅人たちは尊い光を放つ「未来」に“夢”や期待をこめて未知を暴いていった。

  そしてその“夢”の続きを託され「未来」を生きる二十一世紀の旅人たちは、しかし世界に対して“夢”を見出せない。当たり前だろう、未知という未知が暴かれ続けたこの世界に、冒険の余地など何一つ残されていないのだから…。

 

  二十一世紀の僕らは思う。「期待と不安を抱いて旅だったあの旅人は、期待を月に置き忘れて不安だけを持って帰って来てしまったのか…?」「いやそもそも、二十世紀の旅人たちが“夢”を追いかけた結果がこの世界ならば、そんなものただの妄想“偽りの幻想”でしか無かったのか…?」

 

  “Does that one small step for man really become a giant leap for mankind-?'' 

 

  ぼくらは新たな“夢”を求める、しかしその余地はもうどこにも残されていない。そうして代わりに手繰り寄せたもの、それが“幻想”。しかし皮肉なものかな、そうして手に入れた“幻想”でさえもきっとぼくらはいつか暴かずにはいられない。

  ならばせめて…ひとつで構わないからせめて、夢の無いぼくらに“夢”を、“幻想”をひとつ…!

  かの旅人が持ち帰って来た不安とほんの少しの“幻想”を抱いて、求め、叫び、探す。それが行先もわからぬ「未来」に生きていくぼくらが唯一できること…。

 

 

 

 

    ここから考察。

「ロストドリーム・ジェネレーション“ズ”」がどの世代を指すのかはRDさんがツイッターで報告してる通りで、

 

  ⚪︎偽りの夢を抱えていた二十世紀の旅人たち&夢を持たない二十一世紀の旅人たち

  ⚪︎東方世界における“現実”の世代(秘封もここに含まれる)&ガチ現実世界のこの曲を聴いてる私たち(RDさんもこっち側)

 

  そう、秘封倶楽部がいるような東方世界の現実は夢と希望をなくしてしまったんだぜ…というだけの曲ではない。私たち自身の世界をも憂いた曲なのである。

  

  それでは私たち“ロストドリーム・ジェネレーションズ”は幻想を探すためにどこへ向かっていけばいいのか。実は答えは他ならぬRDさんが提示してくれているのである。すなわち「空を翔べばいい」。

 

  凋叶棕曲に、ひいては幻想郷において「空を翔ぶ」というのはどういう事なのか。それは最初のボーカル曲で示されている。そう、「空を翔ぶ」それ自体が幻想。そしてそれに想いを馳せること、それも「幻想」

 

「ヤタガラスカイダイバー」自らと同じ光という幻想を求めた少女が空に飛び出していったように…

「スターシーカー」自分の物語を創るという幻想を求めた少女が空を見上げたように…

「パラレルスカイ」幻想をその身に塗れさせた少女が空に吹き上がったように…

  そして何より博麗の巫女にして幻想の象徴である霊夢の能力が「空を飛ぶ程度の能力」であるように…

  未だ見ぬ幻想を求めて空を翔ぶ、空に想いを馳せる、それはまさに「幻想浪漫綺行」

 

  それでは私たちも想いを馳せてみよう。空を翔んだ先には何が…?あるじゃないか、先の旅人が期待を置き忘れた月が、宇宙が。

 

  「大空魔術」のあとがきを開いてみよう。神主だってこう言っている。「宇宙に行きたくなかったら、他にどこに行きたい場所があるって言うんですか」と。

 

  幻想の創造主2人が共に「空を翔ぶ」ことに幻想を抱いているのだ。もし想いを馳せるのが神主のようにこの現実世界であれば、宇宙に行くという幻想が浮かび上がるだろう。もし想いを馳せるのがRDさんのように幻想郷なのであれば、様々な楽曲に描かれているような幻想が浮かび上がるだろう。そう、私たちも各々の空を翔べばいい。それが幻想を求める私たちの進む道だ。

  

  ちなみに「この世界の仕掛けが全て見えている」状態で、まさにロストドリーム・ジェネレーションズの中にいる宇佐見蓮子は、幻想をその瞳に写す事の出来るメリーと共にいる事を選んだわけだが…。そう考えると秘封倶楽部がより魅力的に見える事だろう。実はこの曲は蓮メリちゅっちゅでもあったりする。

 

  

 

  

  以上が「ロストドリーム・ジェネレーションズ」の考察だ。私たちへのメッセージと強い幻想が込められた、聞いた者を深く考えさせる楽曲。基本的に幻想少女たちの姿を描く凋叶棕曲の中では異質な部類に入るのでは?  RDさんのお気に入りであるあたり、様々な幻想を生み出す上でこの概念が基になっているのかなとも考えたり。

 

  幻想を瞳に映せないしそんなパートナーもいない私は、これからも凋叶棕曲を通して幻想郷の空を翔ぼうと思う。